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照明は「闇」の演出と心得る

 床の間

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明るさと闇の間が消えつつある暮らし

インド北部のあるいなか町を歩いていたときのことです。

現地で知り合った人から夕食に誘われ、郊外のご自宅におじゃますることになりました。

駅で待ち合わせをし、そこから細い道を縫うようにして家に向かいます。道には街灯もなく、民家もわずかで、20センチ先も見えない闇のなかを延々と歩くのです。

生まれて初めての「漆黒の闇」。たまにすれ違う人もいるのですが、目の前に来て初めて人の気配を感じて驚いてしまいます。もっと驚いたのは、懐中電灯なしで深い闇のなかを自在に歩く彼らの視力です。「あそこの角を曲がれば着きます」といわれても、まったく見えません。

ようやく家に着いて、家に入ると、土間に敷物一つと古いソファが置かれた狭いリビングが、裸電球のオレンジ色に染められ、うっとりするほどきれいに見えます。

高齢のご両親、若い奥様の彫の深い顔にはさらに陰翳が刻まれ、彫刻のような美しさを湛えて見えるのです。

闇のない場所で生まれ育った私たちにとって、ほんとうの「闇」は物語の世界でしか体験できなくなっており、美しい陰翳を理解することも難しくなっているのではないかと感じた体験でした。

 

京都で二条城を見学した際のことです。

夕刻の城内に入ってまず目に入ったのが、広大な畳の間の拡がりと長い廊下に沿って連なる鈍く光る襖、黄金に輝く天井。

荘厳といえるほどの装飾ですが、それらが陽の暮れが近い自然光のなかで、重厚な輝きを放っているのがわかります。

陽が暮れて闇に覆われ、そこに行燈、燭台などが1脚でもあれば、何十畳もの広さが闇で覆われていても、1点1点の装飾は淡く闇のなかに浮かび、静謐ではあるものの豪華絢爛の世界が表われてくるはずです。

蛍光灯のように全体を照らす灯りでは逆に、金屏風は輝くことはできず、わずかな灯りでこそ装飾が闇に浮かぶ照明や絵画の基本を、大工や絵描きたちも熟知していたに違いありません。

あのような建築は、日がとっぷりと暮れた時間にこそ、見学させるべきだと思いました。

 

 

ソファやボードの影の床に直置きする間接照明も闇を浮かび上がらせる。

 

ときのうつろいによる陰翳を味わう

闇のなかで初めて、明るさは意味をもちます。月の出ない夜の奥深い山のなかでも、ロウソク1本だけで周囲が浮かび上がるほどの明るさを実感することもあるのです。

 

最近の住宅には、昼間の光のような明るさはあっても、闇はもちろん、闇と明るさの間にあるグラデーション=陰翳がなくなりつつあります。「ほのか」な灯りといって連想するのは蛍光灯の豆電球くらいかもしれません。

 

蛍光灯は光源が広く、空間全体が均一に白い光で照らされ、作業には適しますが、陰翳がありません。欧米で蛍光灯といえば、倉庫や工場など作業向けの照明で、一般の住宅ではガレージや地下室にしかないのです。

 

新築の撮影などでうかがいますと、いまもなお、天井に蛍光灯(シーリングライト)が付けられているお宅が大半で、日本ではもっとも普及している照明手法といえます。和室に行っても、ほとんどがシーリングライトで、床の間の上部にも蛍光灯があります。

 

花瓶・香炉・燭台(三具足)を備える台が床の間の起源とされますが、掛け軸を楽しむ人も少なくありません。床の間に飾られた掛け軸や季節の花は、均一な明るさによって美しさを表現されるべきではなく、陰翳での演出が要求されて初めて存在価値を発揮します。

200年、300年前の日本の建築に蛍光灯はなかったのですから、和室や床の間の蛍光灯は何とかならないものかと、ここの部分は違和感を覚えてしまうのです。

高級旅館に行っても、畳の間に蛍光灯が当たり前にあり、天井に照明を設けず、行燈に似せた和風のフロアスタンドを置いている旅館も多くはありません。

 

床の間に飾る掛け軸や花は、四季折々、朝、昼、夜と光がうつろうなかで、折々の光と陰翳に表情を変える美しさを味わうよう計算されてきたはずです。

それを真上に付けた蛍光灯で四六時中同じ光で照らしてしまうと、光や陰の「うつろい」など感じられないのは当然です。

それでも人工照明がほしい場合には、ペンダントライトかダウンライトでオレンジ色の淡い灯りで抑えるくらいが、ちょうどいいのではないでしょうか。

 

キッチンやダイニングの照明も明る過ぎる必要はない。

 

世界のプロが学んだ谷崎の「陰翳礼讃」

文豪として知られる谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』にこんな一文があります。

──諸君はまたそう云う大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光りが届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぼうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。

 

その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げているのであるが、私は黄金と云うものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。『陰翳礼讃』((角川ソフィア文庫))

 

古い伝統的な家屋では、奥に行けば行くほど闇が重なり、床の間に置かれた季節の花や光を透かす欄間、透明なシェードを付けた電球、襖に描かれた金や白の大華や鶴など、闇のなかでほのかに浮かび上がる「しかけ」がいくつもありました。

光があっての陰があるのではなく、「陰」のなかの「光」が計算され、それは意匠でもあったのです。

谷崎は陰翳のなかでこそ、建築や庭、食器、能や歌舞伎などの芸術が発展したのが日本の特徴であることを考察していたといえます。

 

谷崎は女性の美にも触れています。 

──夜光の珠も暗中に置けば光彩を放つが、白日の下に曝せば宝石の魅力を失う如く、陰翳の作用を離れて美はないと思う。つまりわれわれの祖先は、女と云うものを蒔絵(まきえ)や螺鈿(らでん)の器と同じく、闇とは切っても切れないものとして、出来るだけ全体を蔭へ沈めてしまうようにし、長い袂や長い裳裾で手足を隈の中に包み、或る一箇所、首だけを際立たせるようにしたのである。『陰翳礼讃』((角川ソフィア文庫)

 

ここでは「蒔絵や螺鈿の器」でさえも「闇とは切っても切れないもの」とし、そこで浮かび上がる美の哲学を「女」にも重ね、このような名文で書きあげているところが、まさに文豪です。

 

スポット的に光源を活用することで明るさと陰翳をコントロールする。

 

光と闇をゆたかに演出する手法とは

舞妓さんや芸者さんたちの真っ白なうなじは、ロウソクや行燈など、薄暗い灯りに浮かび上がると、どんなにか色っぽく、艶めいていたことか。

想像してみてください。蛍光灯の下での、舞子さんの真っ白なお化粧は、白すぎて色気どころではないはずです。

漆器にも同じようなことがいえます。

私は個人的に、装飾を排した浄法寺塗り(岩手県)が好きなのですが、この漆器を蛍光灯の真下で使っても少しもうれしくありません。

先に述べた建具の装飾と同じで、わずかな光のなかで奥行きの深い美を湛えるのが漆器ならではの美しさなのです。

数百年も前の寺社建築、あるいは一般の住居で、行燈や燭台の光だけでも美しさを醸す高度な光のノウハウが、器1つにも凝縮されていることに驚きます。

 

ホテルの部屋の灯りがスタンドや間接照明ではなく、蛍光灯の白々とした光だとしたら、くつろぎの時間も半減してしまいます。

出張を終えて、あるいは昼間の旅を終えてホテルに入る。オレンジ色のほのかな灯りだからこそ1日の疲れを癒してくれるのです。

 

間接照明にはスポットライト・足元照明・壁付照明・スタンドなどのアイテムがあります。小型の照明を、テレビボードやソファなどの後方の床に直置きするだけで、闇が浮き立ってくるのがわかります。

お気に入りのアートがあれば、それを天井からピンポイントに照らせば、闇のなかでテーマが強調されるでしょう。

アメリカ映画を観ると、部屋の隅や棚、デスクでいくつものスタンドが置かれているの気づきます。1つの部屋に5つも6つも設置され、それらを自在にオン・オフすることで幾通りもの灯りの演出を可能にしているのです。

 

クリップ式も手軽に設置でき、照らしたいところに光の強弱をつくることができます。スタンドもクリップ式も割安なものから種類が豊富に揃っているので、徐々に増やしていく楽しみもあるはずです。

 

間接照明は「一室多灯」がコツ。極論だと叱られるかもしれませんが、天井に照明をつけないくらいの覚悟で臨みます。

光源を分散する、分散した光源をその都度、組み合わせる。そうして、幾通りもの空間の表情を楽しむことができます。

 

土間の「間」を現代住宅で応用する

土間 ストーブ

 

住居のはじまりは「土間」から

昔の町家や農家にうかがうと、土間が広くとられています。土の間、つまり土でつくられた空間ですが、土といってもただの土ではありません。土や砂利に石灰、ニガリなどを混ぜ、固めたもので、3つの材料を使うことから、三和土=たたきと呼ばれます。たたきというくらいですから、何度も何度も叩いて固めたのでしょう。

 

農家では作業場であり、台所であり、作物の保存場所としても活用された土間は内庭とも呼ばれました。

町家では通り庭ともいい、ウナギの寝床と称される細長い家のつくりの奥へと移動する通路の機能もあります。昔は、勝手口の前方にかまどが設置されるケースが多かったため、玄関を入り、そのまま靴を脱ぐことなく荷物を台所に運べる利便性がありました。

 

土足で利用するため、三和土だけではなく、タイルやコンクリートで仕上げられることもありますが、それだけ家事や作業には、汚れや水、火を気にせずに使え、安全性も高いことがわかります。

「座式」の生活が主流の日本の住まいでは珍しく「立式」のスペースですが、この空間も次第に「座式」の内の空間に組み込まれ、いまでは見ることが少なくなりました。

 

いつのころから、土間がつくられたのでしょう。

明確な答えはないものの、縄文時代からさらに時代をさかのぼり、家らしきものができたころから、といってもよいでしょう。家のはじまりは、土の上に雨露を防ぐ屋根「らしきもの」をかけただけだったはずです。

旧石器時代で火を扱う炉は屋外でしたが、炉の場所は徐々に屋内へと移動し、暖房や照明の役割を担うようになり、今度はかまどなど台所の機能を持つようになります。

 

時代が変わるに連れて、土間の上に何かを敷く生活が生まれ、土間と区別した板張りの空間が内部にできます。

板の間で過ごす時間が長くなり、そこで寝るようになると、外の汚れを持ち込まない習慣が生まれ、それらが「床」として発展。次いで、床の一部に畳が敷かれるようになり、和風住宅の様式が形成されていくのです。

 

西洋では、寝るための床の敷物がベッド=家具となり、日本では敷物が板張りの床として変化しました。こう考えると、土間こそが西洋と日本の住まいの文化の分岐点になったといえそうです。

 

土間

居間と建具で仕切られた土間。冬は日差しを蓄熱し、夏は風の通路をつくる。

 

家の「内」に組み込まない工夫を

外のようで外ではなく、内のようで内ではない。土間は半分外のようで家の「内」にある空間です。

 

囲炉裏は床の上にありましたが、かまどや水置き場は土間。土間と床上を行き来しながら台所仕事が行われました。

お隣さんが来ると、土間で立ったまま家人と話をし、話が長くなると、框に腰かけて会話をするなど、土間は人の関係を保つ空間、家のなかに入れようか、どうしようかと迷って駆け引きをする場でもありました。

 

しかし、最近の土間は靴を脱いだり履いたりするだけの場所となり、作業のできるような土間を見かけることが少なくなりました。自然とのつながりも分断されてしまったのです。

 

外でも内でもない曖昧なゆとりは消失し、お客さんは玄関に立って、長い間、話をすることも許されません。土間で漬物を漬けたり、大工仕事をするなど、作業をすることもできません。

地方の取材では、近所の人が来たとき、長い時間、滞在されないようにと、あえて土間をなくす住宅を多く見かけました。

家のかたちだけでなく、近所づきあい、人とのつきあい方も変化しているのです。

 

こう考えていくと、土間の機能を床に移し過ぎてしまったかのような印象もぬぐえません。床に座る、寝るなど生活の大部分が土間から板の間、畳の上に移り、土間だけであった歩行するための空間、経路も床の上に変わってきたのです。

その名残は玄関に残っていますが、靴を脱ぐ場所に限定するにはもったいない気もします。

 

土間を日曜大工の作業場にする、趣味の雑貨や小物のアトリエ、食品庫、アウトドア関連の物置、ドッグランにと、開放的で曖昧な空間だからこそ、日々の暮らしに変化をもたらし、暮らしの楽しみ、奥行きを与えてくれます。

広めの土間を設けることで、玄関からリビングをつなぐ通り空間だけでなく、セカンドリビング、セカンドダイニングとしての使い方もできます。テーブルを移動して週末の夕食、休日のランチを楽しむことも素敵です。

 

土間 ストーブ

キッチンは土間に。家族みんなでダイナミックな料理の時間。

 

曖昧空間のよさを現代に生かす手法

外と内の間に「間」を与えることで、外の光や風の恵みを屋内に引き込むこともできます。

異なる領域がつながれた部分は、文字通りの「間」。ここは何をする場所、あれをするところなど場所に機能を意味づけるのではなく、何にでも使える機能が「間」のゆたかさです。グラデーションといってもいいのですが、この曖昧さが日本の伝統家屋の特長で緩衝地帯ともいいます。

 

土間を設ける際は、昔のように三和土でつくるだけでなく、タイルやレンガ、コンクリートを打って仕上げることもできます。

日差しを導き、土間に蓄熱することで、日没後から翌朝まで、日中に蓄えた熱を放熱する仕組み(ダイレクトゲイン)をつくることもできます。

土間とリビングなどのパブリックを一体化させれば、冬期間は日中のお日様で土間が暖められ、暖かい空気は2階に上がって、屋内全体を暖めることに貢献します。

いわば自然の空調ですが、土間にストーブを設置すると、蓄熱効果はさらに向上し、補助暖房としても活用できるでしょう。

 

外とのつながりをとるようにすれば縁側のように、外でも内でもない空間ができますし、夏期はオーニング、すだれなどで日差しを遮れば土間から涼しさを屋内にもたらすこともできます。

通り土間の場合は、天窓など開口部の設置を工夫することで、風の通路をつくることができ、猛暑の夏にも涼しい空間となります。

このように、光や熱、通風などの自然のエネルギーを取り入れる設計をパッシブデザインといいます。

 

仕事でも日常でも、靴を履きっぱなしの時間が当たり前のようになった現代だからこそ、土間はもっと見直されてもいいのではないかと思うのです。少し大袈裟かもしれませんが、庭と家との「間」にあることで、自然界と家とを結ぶ役割を果たしてくれる機能があるのです。

 

曖昧ついでに、土間と床の仕切りは引き戸を考えます。オープン・クローズが自在な引き戸は、世界で日本にしかない固有の建具。壁にもなり、開けることもできる建具は、土間のある風景の変化を日々楽しむことを可能にします。

ほんの数センチ、土間と床との高低差を設けることで、垂直方向のリズム感が創出されるでしょう。

 

家族みんなの空間であり、ときにはお父さん、ときにはお母さん、子ども、訪問者の空間ともなる空間はまさにパブリック空間であり、このどっちつかずの機能こそ土間の醍醐味といえます。

これもできる、あれもできる、といった大らかさこそが魅力。そこを理解し見直すことで、家のデザイン、間取り、暮らし方も大らかに変化していくはずです。

 

何にでも使える融通性に富んだ空間は、生活にゆとり、ゆたかさとを醸成してくれるはず。お金やモノの数で決められるゆかたさではなく、原っぱのように何にもないところだけど、何でもできる可能性に満ちた空間ともいえましょう。

 

昔と違って、戸建てを建てるにも土地の価格は高くなり、狭小の敷地、建物しかできなくなっているのも実情です。

伝統的かつ開放的なかつての日本家屋は難しいかもしれませんが、土間の「間」の根底にある考え方は、いまも私たち日本人の住まい、暮らしに多くの示唆を与えてくれるはずです。

 

 

 

温熱環境は「北海道」レベルを最低基準に

リビング

「工法」よりも「性能」とビルダーの実績で判断する

日本の住宅の工法で代表的なものは木造軸組み工法ですが、ほかにもツーバイフォー工法、プレハブ工法、RC造などの工法があります。

ここでいう工法はいわば「骨組み」ですが、温熱環境を決定づける断熱工法にも外張り断熱(外断熱)、充填)断熱(内断熱)、付加断熱(W断熱)などの種類があります。

 

しかし、いざ断熱工法について学び始めると、工法選択の混沌に陥り、UA値(外皮平均熱貫流率)やC値(隙間相当面積)の数値だけが判断基準となり、工法と数値のオタクになってしまう人も少なくありません。

こうして情報に振り回されてしまい、生活や個性や嗜好ではなく、家づくりの入り口で疲れ果ててしまう人たちをこれまで何人見てきたことでしょう。

 

断熱工法は、壁のなかに断熱材を入れる充填断熱(内断熱)と、壁の外に断熱材を張る外張り断熱(外断熱)に大別されます。

充填断熱は、壁のなかの柱と柱の間に断熱材を挟みこむ工法で、外張り断熱は柱の外側に断熱材を張り付ける工法と理解すればよいでしょう。

付加断熱とは、さらに高い断熱性を実現するため充填断熱と外張り断熱を合わせたもので、最近注目を浴びる「ZEH」(ネット・ゼロエネルギー・ハウス)などは大半がこの付加断熱でつくられます。

 

いずれの工法でも、性能を上げるとエネルギーが削減でき、居住性は向上しますが、それで生涯を託す住まいになるかといえば別問題です。

実際に数値を示されても、個別に気密測定をしてくれるのか、年間光熱費のシミュレーションを示してくれるのかも、個々のビルダーの良心に頼るしかなく、実際にどれくらいのエネルギー消費になるのかは各家庭の生活スタイルによっても大きく異なるのです。

 

ネットの世界では異なる工法のデメリットを指摘し合う内容がたくさん見られますが、技術的なデメリットを私たちエンドユーザに語ってみたところで、私たちは確認もできない、言葉を発すことができないままです。長所も短所も含めて検討できる情報発信が切に求められています。

 

吹き抜け

断熱性能を上げると吹き抜けでも上下の温度差はない。

 

日本の断熱レベルを欧米と比べると

私たちが求めるのは「外断熱」の家でも「充填断熱」の家でも「付加断熱」の家でもありません。

四季を通じて快適で安全な環境があり、安い光熱費で何十年と長く住むことができ、どの空間も美しくおしゃれで、毎日明るい家庭生活が送れる家…であるはずです。

 

それでもまだ断熱材や工法にこだわりたい人は、数値や断熱材のあれこれではなく、お目当てのビルダーが、これまで建てた家のなかで、平均してどの程度のUA値・C値を出してきたのか(全館冷暖房を前提として)、これまで建てた家の光熱費の平均は(建坪ごとに)年間いくらくらいなのか、どんな空間、間取り、デザインを得意とするのかなどをビルダー選択の目安とするとよいと思います。

 

これから何十年とそこで生き、暮らす家。しかも、何千万円という人生で最大のお金を投入するのが、家を建てるということです。

 

性能の目安は、ずばりいって、北海道仕様を「最低基準」として設定したいところです。Q値でいうと1.4、UA値0.4前後の数値となりますが、実はこの水準でもEUレベルに及びません。

ちなみに、99年に施行された国の次世代省エネ基準では、Q値1.6が北海道仕様でしたが、この性能を上回るところで目標を設定したいところです。同基準がすでに20年も前のもので「次世代」でも何でもないですし、北米でもヨーロッパなどのEU諸国でも、このレベルの性能はすでに30年前に実現されています。

 

しかし、このくらいの性能ですと、北海道、東北などの寒地でも年間15万円前後の光熱費で全館冷暖房ができ(40坪平均)、関東以西では暖房だけでなく冷房にかかるコストも激減する数値でもあります。

設計にもよりますが、吹き抜けにたった1台エアコンを設置するだけで、40坪前後の家なら、全館をほぼ均一な温度に保つことができる数値ともいえます。

 

ここで注意しなければならないのは、太陽光発電や蓄電池など重装備の設備で判断しないこと。

UA値やC値はあくまでも技術力で具現されますが、設備はメーカーがつくるもの。断熱など考慮されていない昔の茅葺の家でも、数百万円分の設備を付ければ、とりあえずエネルギー消費は減るのです。

躯体の断熱性能で、どれだけ省エネができるかどうか。設備はあくまでも、優れた断熱性能を補助するイメージでいいでしょう。

 

ストーブ

ストーブの煙突で2階にも熱を配る。


 「もったいない精神」との併用ができるか

日本の世帯当たりの用途別エネルギー消費量は、圧倒的に暖房用が多く、年々増加の一途をたどっています。

しかし、幸いにも、イギリスやドイツと比べると、暖房用エネルギー消費量は3分の1程度で、冬期の平均気温がほぼ同じ東京とローマを比較しても、東京の世帯当たり暖房エネルギー消費量はローマの4分の1程度です。

 

もっとも、温度や湿度、全館冷暖房と部分・間欠暖房という暖房手法の違いや工法の相違が影響していますが、日本がこれだけエネルギー消費を少なくしてきたのは、我慢と倹約によるものと言い切ってもよいでしょう。

前述したように、日本の住宅性能は欧米には遠く及ばず、24時間、連続して全館を冷暖房をする習慣もありません。

我慢は美徳とばかりに、「もったいない精神」で寒さも暑さも乗り切り、それも次第に我慢が及ばなくなって、エネルギー消費が上昇し続けているというのが実態と考えられます。

 

エネルギー消費というくくりでは、冷暖房や給湯に関わるエネルギーは、実はさほど増加しているわけではなく、家電製品や照明などのエネルギーが増加しているのです。

このことは夏暑い、冬寒いい家で、大型テレビや冷蔵庫、パソコンやゲーム機にあふれた偏ったエネルギー消費で生活している家庭が増加していることを示しています。

 

外気と同じ温度の家で、質素に倹約をして生きるという哲学もあります。

が、4人に1人が高齢者になろうとしている日本の社会にとって、それが理想の選択とは必ずしもいえません。

かといって、真冬もTシャツ一枚で生活するのがほんとうのゆたかさではありません。寒さに耐え、夏の猛暑にも耐えてきた日本人の力は、欧米並の室温よりもやや劣ったとしても、それを享受しながら最新の技術に依存するという考え方があってもいいはずです。

 

夏も冬も少しの節約をする。それでも、家の性能は高いレベルをめざすことで欧米以上の省エネが可能になりまし、CO2の削減にも貢献します。

そのために費やしたイニシャルコストは、日々快適な暮らしを営みながら、十年ほどで回収できるはずです。

 

高性能の家での暑さ寒さは、従前のそれとは質が違います。断熱性能を高めることで、意図的に温度を制御できる家となり、輻射熱もふんだんに蓄えられる空間になります。

計画換気の徹底で湿度も適度に調整され、24時間きれいな空気が確保されるのもメリットです。

 

赤ちゃんから介護の必要なお年寄りまで、誰もが安心して暮らすための「性能」でもあります。

将来、現役時代よりも少ない年金生活でも、最小限の光熱費で老いの時代を迎える安心感は、建築という分野ではなく「居住福祉」として語れる時代がきっとくるはずです。

 

これまで私たち日本人が抱いてきた文化性、身体性をそのままに家の性能を向上させていくことで、これまで世界に例のない劇的な住宅の改革ができることを願ってやみません。

 

 

動線は「太い」ことと「短い」こと

 

家族個々の生活パターンを分析する

主に住宅内を人が動く経路を動線といいます。エリアを広げて都市のなか、狭めて居室のなかの経路も同じで、どちらも設計時に考えておくと、無駄な動き、余計な面積、場所も少なくて済みます。

百貨店などでは、お客を目的の売り場に導く経路として「導線」の文字を充てることもあります。その場合は人が動くための線ではなく、人をどう導くかを目的とした線といえます。

 

動線には家事動線、通勤動線、衛生動線などいくつかの種類がありますが、基本的に個々の家族のライフスタイルによって意味合いは大きく異なります。3つに大別して考えてみます。

 

1.家事動線

どの動線でも、その目的は何かを考える。そこからスタートです。

家事動線の場合は、料理、掃除、洗濯などの日々の家事が少しでも楽になることに尽きます。

今度は個別に考えてみます。

料理は、朝食、昼食、夕食のどの作業の負担を減らしたいのかを考えてみましょう。共働きのケース、それぞれの出勤・帰宅時間、毎回の食事の人数と量と質、それらを考えるだけで、家族の数だけ動線の種類も考え方も違ってくるのがわかります。

 

料理のついでに洗濯をする、掃除は週に一度しかしない、お風呂の掃除と一緒に洗濯をするなど、家事の仕方によっても、動線の考え方は異なるのは当たり前。

シンガポールや中国の共働き世帯では、朝食、昼食は100%外食という家庭も少なくありませんし、こうした家庭ではキッチンは最小限の設備と面積で、料理に関する動線は重要視されません。

小さなキッチンの隣がすぐダイニングという感じで、料理が家事の範ちゅうに入っていない文化もあるわけです。

 

日本の場合も同様で、一般論はあてにせずに、まずは我が家のパターンや家族の癖、理想はどうなのかを考えます。

大人数ですと、重たい買い物袋を持ちながら、玄関から冷蔵庫まで移動するだけでも大変で、3人家族だったら、玄関と冷蔵庫の距離は重視することもありません。ゴミを出す場合はこの反対ルートで、キッチンから玄関まで、どこを通ってどのくらいの距離なのかが気になります。

 

玄関とキッチンを最短距離で結びたい場合は、勝手口が選択肢に入ってきます。勝手口を設けるなら、勝手口を入ってすぐは土間にし、そこに小さな食品庫をつくることもできます。この食品庫は非暖房空間にすると、漬物を漬ける作業場にもなり、保存庫にもなります。

 

料理のときは洗濯もやってしまいたいという人には、キッチンと洗濯機、物干し場とのアクセスが重要です。この際、物干し場は屋内と割り切っている家庭ではベランダとの動線は除外されることになります。

このように考えていくと、ビルダーや設計事務所が考える動線が先ではなく、自分の行動パターンの理想を考えることが、動線計画の基本であることが見えてきます。

 

 

エントランス

玄関から居間に抜ける裏動線。

 

2.通勤動線

この動線も家族の数だけ異なります。

わかりやすく考えるために、お父さん動線、お母さん動線、息子さん動線、娘さん動線、おじいちゃん動線、おばあちゃん動線など、個別に考えてみましょう。それも朝の通勤時間に絞ってです。

 

お父さんを例にしますと、起床→トイレ→洗面→着替え(パジャマから部屋着)→朝食→着替え(部屋着からスーツに)→トイレ→出勤というスタイルが一般的ですが、ここに共働きのお母さん、早起きのおじいさん、通学の子どもたちを重ねるとどうでしょうか。

動線が狭くならないように廊下を広めにするといったアドバイスも見かけますが、本来、廊下などつくらない大空間を中心とした空間構成をおすすめする私としては、廊下の動線そのものが無意味です。

廊下があったとしても、ぶつかりそうになった場合は、よければ済む話でしょう。家族なのですから。

 

むしろ気になるのは、重なりです。

同じ時間にトイレに駆けこむ人がいる場合は、トイレの数が問題となります。1階のトイレが使用中の場合は2階に移動する。そのときの動線はどうなのか、といった順番です。

 

洗面所も同様です。同じ時間帯に、洗面所を使いたい人が何人もいる場合、そこで長い間、ドライヤーを使ったり、髭を剃っていたりでは、すぐに渋滞を起こします。

この場合も同様で、動線そのものの問題ではなく、洗面台の台数、コンセントの位置、数なども大事な要素となり、バランスのとれた設計が求められます。

 

洗面

水回りは直線状に並べると動線もよくコストも割安。



 

動線の「表」と「裏」を使い分ける

3.衛生動線

水回りは1つのラインにまとめると、工事面でも効率が良く、コスト面でのメリットもあります。水回りだけは、動線よりも、余計なコストをかけないように、トイレ、浴室、洗面、キッチンは一直線上にまとめることを基本にしましょう。

 

問題はそのまとめかたです。

リビングやキッチンとトイレが近いと音の問題があります。寝室から近いのが理想ですが、かといってキッチンや洗面と近いと、音の問題がありそうです。少し前ですと玄関ホールのほど近く、廊下に面して並べることもありましたが、来客時に見えるかどうかの配置がカギでした。

 

こんなときのために考えたいのが「裏動線」です。

来客時に、訪問者の視線に入らずに、できれば音も気にしないで済む位置にトイレや浴室があるかどうか。洗濯に関しては、来客時は遠慮することで問題は回避できますが、トイレや浴室はやはり、隠れたところにあると便利です。

 

裏動線のポイントは、訪問者が玄関を入ってから通されたリビングや客間の座った位置から、プライベートなものが見えないように配慮します。

ここで銀行やホテル、デパート、レストランをイメージしてみます。実は彼らの職場は私たちの見えるところだけでなく、荷物の搬入口、従業員専用の出入口から入って専用の更衣室、トイレ、場合によってはシャワー室や浴室、食堂や休憩室などの専用の「裏」があって、「裏動線」があります。

私たちが目にする職場とは区分けされているので、住宅にも応用できないか考えてみます。

方法は大きく分けて2つあります。

 

1つ目は、階段をリビングに取り込む設計です。玄関→階段→2階の子ども部屋という動線は、家族の顔を見ることなく個室に移動できてしまいます。

その点、階段をリビングに取り込むことで、まずは「ただいま」「おかえり」とあいさつができ、階段を中心にぐるりと回る回遊型の動線ができ、階段の裏側に水回り直線状に配置することができます。

この動線ですとキッチン→洗面・浴室→トイレ→寝室も可能で、訪問者とくつろぐリビングからは明快な一線を引くことができます。

 

2つ目は、やはり回遊型の動線を応用します。

ル・コルビュジェが実母のためにスイス・レマン湖のほとりに設計した「小さな家」には、小さいながらも行き止まりがなく、直線の動線もありません。

リビングからトイレ、寝室に行くにも、途中にテーブルや衝立、椅子などがあると、そこを避けようとしますので、ニョロニョロ、グネグネと回りながら移動することになります。往復、別な動線を辿ることもでき、毎日の生活に飽きがきません。「サーキュレーション」ともいわれる動線ですが、これは家のなかに行き止まりをつくらないこと、直線の動線を最小限にすることなど示唆に富んでいます。

 

動線だけを計画することはあまり得策ではありません。間取りを考えるときのようにパズルになってしまうのです。

まずは自分たちの生活を分析する。そこで何が必要で、何が不要かを明確にする。

 

ここで大切なことはプラス思考にしないこと。

ここが足りないから、これがほしいとなると、面積にも予算にも際限がなくなるからです。

遊び半分の間取り図も楽しいものですが、素人がそこにはまると必ず壁にあたります。

まずは言葉。

この言葉をメモにしてたたき台の図面をプロに委ねるのです。そこからプランを始める方がずっと効率的です。

 

 

子ども部屋は「可変性」で計画する

 

白い部屋 椅子

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子どものための個室を安易に増やさない

新築の際、ほとんどの家族が人数分の子ども部屋を考えます。

2人なら2室、3人なら3室というお宅もあります。思春期が近い子どもを抱えているお宅だと、子どもたちから個室がほしいという要望を突きつけられることも想定されます。

子どもにとっても自分の縄張りを得ることは夢の一つで、私自身も小学生のころは親の監視から逃げられることだけを考え、どんな狭くてもいいから自分の部屋がほしいと願ったものです。

2人の子どもがいるのに、1室だけという人は、よほど家のことを勉強している人かもしれません(理由は後半で)。

 

家族のことを振り返ると、子どもたちがプライバシーを主張し始めたのは中学生くらいから。それまでは、娘も息子も、勉強はいつも、リビング。自分たちの部屋があったにもかかわらず、勉強のために使っていたのは、高校受験直前の数カ月間だけでした。いわば寝るだけのスペースだったことになります。

 

どこのお宅も同じとは限りませんが、我が家のような暮らしだと、子どもが3歳ならあと10年は個室としての子ども部屋は不要となります。10歳でも5年間はただの寝る空間です。

しかし、小学生の時期はたいてい親と寝ますので、寝るための部屋も要らない。だったら、子ども部屋がただの物置に近い空間でしかない期間も長いことになります。

確かに、とうなずくご両親も少なくないはずです。そして、子どもたちが巣立ったあと、用を解かれた子ども部屋は次第に物置と化し、それが2室あれば2室が無駄な空間になってしまうのです。

 

大空間を必要なときに仕切る「可変性」

少し前まで、日本の家の間取りの大半は絵に描いたような「田の字型間取り」でした。

玄関を入る。右手に居間、左手に和室。暗いホールの正面行き止まりがトイレやお風呂で、その手前には2階に上がる階段。そうでなかったら、左右が反対の配置のどちらか。

目を閉じても、真っ暗な夜中でも泥棒が徘徊できる間取りで、子どもにとっては、帰宅しても親と顔を合わせることなく2階の自室に上がることができ、特に思春期以降の子どもにとっては非行の温床となることも少なくなかった間取りです。

思春期を過ぎると、子どもたちはドアにカギをかけ、そこにどんな友だちがいつ来て、いつ帰ったかもわからない。

カギだけではなく、自分の部屋にミニキッチン、テレビなどを要求し始めると、プライバシーを通り越して、何のための家族、何のための家であるかがわからなくなってきます。こうしたことを子ども部屋の「装置化」といいます。

 

子ども部屋は仕切ることより、当初は大きなワンルームとして考えます。

子ども1人ごとに6畳なり8畳なりの個室を与えてしまうことは、子どもに大人のサイズの服を与えてしまうようなもの。Mサイズであれ、LLサイズであれ、大人のサイズはいずれも、子どもにとっては意味をなしません。

 

例えばの話になりますが、子どもが2人で8畳×2=16畳(6畳×2でもいいのですが)というのが、これまでの発想でしたが、これを16畳ではなく、一回り小さい12畳を確保する考え方に転換してみます。

12畳といえば、かなりの大空間です。

 

どちらかの受験期や思春期に2つに仕切ることを前提としますが、最初から8畳を与えられるより、12畳の大空間を与えられるほうが、双方がのびのびした空間で過ごすことができることはおわかりでしょう。

間仕切りを壊すのは大きな工事になりますが、1室を2つに仕切る工事はほぼ半日もあれば済む工事です。

 

 このように「子どものための」という固定した機能に縛られず、最初は曖昧な空間とし、生活の変化に応じて変えていけるプランを「可変プラン」といいます。

 

兄弟姉妹の仲が良ければ、本棚や衝立、パネル、ロールカーテンなどで軽めに仕切ってもいいでしょう。最初から可動式の引き戸を設けて、開閉自在にしておくことも合理的です。

 

6畳を2つ設けるよりも2坪の削減となり、単純計算ですが建築費が坪80万円として160万円の節約となります。

 

子ども部屋

将来間仕切りできるように、あらかじめ入口を2つ。


1階と2階の子ども部屋を吹き抜けでつなぐ

吹き抜けのない場合は、そのまま1階、2階が断絶されてしまいます。

以前は個室にこもった子どもに声をかけるためにインターホンまで付ける家庭もあったのですが、これでは家のなかにアパートがあるようなものです。

 

子ども部屋を2階に設ける場合は、リビングやダイニングと吹き抜けで空間をつなぐ手法もあります。子ども部屋が複数ある場合は、共用スペースとなる部分が吹き抜けに面する設計。

子ども部屋から吹き抜けに面する部分は小窓を付けるなどして、開閉自在に。閉じたところで1階の家族の生活音は感じられますし、その程度の気配が、子どもにとってはちょうどよい安心材料になるでしょう。

 

朝、1階からおかあさんが「起きなさーい」と声をかけられば、子どもを部屋まで起こしに行く必要はありませんし、ご飯のときには、階下から立ち上ってくる料理の匂いだけでご飯の合図になります。

子どもたちが学習モードに入ったことを察した1階の親たちは、そのときテレビの音や話し声を小さくすればいいでしょう。家族のなかで互いの気持ちを察することを学ぶこともできるはずです。

 

20年、30年前ですと、天井付近の温度は高く、1階は寒くてしようがないというのが吹き抜けのイメージでしたが、近年の性能向上で開放的な間取りができるようになり、廊下、上下階などで断絶しなくてもよいなど、デザインの幅が広がってきたことがわかります。

 

屋内の「音」の響きの問題が生じてきますが、だからといって家族の住まいのどこかを防音処理するなどは論外で、家族だからこそ互いの気遣いで問題を共有するくらいの嗜み、礼儀を育むことこそ、家族と家の役割であるように思います。

 

子ども部屋

吊り引き戸で簡単に開閉できる自在な空間にする。


子どもたちが巣立ったあとの活用法

子どもたちの独立後は元の大空間に戻し、両親の趣味の空間や客間として使用することができます。

子どもたちが結婚し、お孫さんたちを連れて帰省する時期には、かつての自分たちの部屋を宿泊スペースとするのもいいでしょうし、両親の趣味室として活用することもできます。

 

子どもが独立したあとの部屋はたいてい物置化してしまいますが、可変プランなら、どんなふうにも転用しやすく、いつも進行形で使用される空間となるでしょう。

 

もう少し発想を拡げてみると、思春期を迎えるまでの子どもの居場所を、家のなか全てと考えれば、リビングやダイニング、床の上、階段までも勉強や読書のスペースとなります。

 

押入れのなかや部屋の隅、階段に座って本を読むと、なぜか気持ちよく学べる経験は、誰もがお持ちのはず。

静か過ぎる環境がいいわけではなく、適度に人の気配があることも勉強がはかどります。図書館がいい例で、静かだけれど、誰かがいる気配があるほうが、安心して読書も勉強もできるのです。

 

子どもたちが、リビングやダイニングで教科書を開いたら、親はそっとテレビを消すだけの話。そこらに座って、家事をしたり、本を読んだりすればいいのです。

静かな時間ですが、親と子の気持ちはちゃんとつながっています。

 

せっかく新しい家を建て、子ども部屋をつくったのだから、自分の部屋で勉強しなさい。こんなふうに子どもを個室に追いやってしまうのは逆効果。

ある程度の気配を感じたほうが親も子も安心ですし、とりわけまだ幼い子どもにとっては、お母さんやお父さんの近くにいるだけで、落ち着いて勉強できるのです。

 

 

南面採光だけで満足しない

寝室 天窓

Contents

 

 

窓から熱を得るのは昼間だけ

日本の家は南面の開口部を大きくとるのが特徴です。南面の壁全体が開口部のような家がいまもたくさん建てられています。

 

都市部でも、建売住宅やマンションの広告を見ると「南面リビング」をPRする物件が根強い人気。アパートも「日当良」は基本の基本というのはしかし、日本ならではのものかもしれません。

 

日本より緯度の高い欧州では、東向き、北向き、西向きとバラバラであることに気付きます。道路に向いて建っているのが特色かもしれませんが、日本の家ほど南向きにこだわっていないことだけは確かです。

 

しかし、いくら天気のいい日でも、採光・熱の取得といったメリットが享受できるのは昼だけ。夜には昼間に取り込んだ以上の熱が、大きな窓から出ていってしまうのです。

古い時代の窓で、窓の面積が大きければ大きいほど、熱が逃げる量も多く、朝には外と同じような室温になっている、そんな経験をしてきた人も多いことでしょう。

 

開口部の面積をとればとるほどに、屋根を支える力が弱くなります。壁よりも窓のほうが支える力がないことは明白です。

大きな地震の際など、テレビを観ていると、倒壊した建物の多くが開口部の面積の多い部分から前のめりで倒れていることがわかります。耐震性の面でも壁のように窓を連ねることの危険性がおわかりになるかと思います。

 

そして、南向き、大きな開口部のほとんどが掃き出し窓。そこには、出入口と通風・採光用の開口部と壁との役割を曖昧にしてきた、日本の家の原点が見えてきます。掃き出し窓が悪いのではありません。これだけ伝統的な住文化が希薄になっているのに、なぜ窓のかたちが昔のままなのか、が不思議なのです。

 

掃き出し窓でも掃き出しにくいゴミ

掃き出し窓は「窓」なのに、出入りができるドアみたいな窓です。縁側があって庭先とアクセスする名残でもありますが、文字通り、掃除の際にゴミや埃を外に掃き出す目的もあるのでしょう。

 

しかし、サッシの溝の凹凸がバリアになって、箒を使ってゴミやホコリを掃き出すことは難しく、掃除機を使っても隅々までゴミを吸い取ることはできません。拭き掃除も困難です。

庭先に洗濯物やお布団を干すときのために必要、という人がいますが、1人が洗濯物やお布団を抱えて出るには、ドア1枚程度のスペースがあれば十分です。

にもかかわらず、なぜ、大きなガラスが2枚、4枚とあって、根強い人気なのでしょうか。問題はそこです。

 

家は夏を旨として建て、冬は南から太陽光を採り入れる。

そのために開口部は大きければよい、といった考え方、出入りのない部分まで大きな掃き出し窓にしてしまうといった考え方が、長い歳月をかけて根付いてきた。だから、私たちは何の疑問もなく、昔ながらの窓を用いながら、生活だけは「和」を否定して洋風に変化させてきたともいえます。

 

トップライト

トップライトは壁面の窓の3倍の採光を得ることができる。

 

日射をコントロールする方法

これまで日本の家には、熱を蓄えるといった発想はありませんでした。南面からの日差しは日が照っているときだけ満足できるもの、大きく薄っぺらな窓は、夜になると、あるいは冬になると、日差しの何十何百倍もの熱を逃がしていたのです。

 

逆に、近年のマンションなどでは、南面採光のリビングにこだわりすぎることで、夏は蒸し風呂状態となり、高い冷房代を余儀なくされます。

日差しを取り込むばかりで「遮へい」など日射を制御することがあまり考慮されていないからです。

日射は「取得」と「遮へい」の両方向でコントロールが大切ですが、古くは庇や軒にお任せして、窓そのものでどうにかしようとする発想はあまりなかったのかもしれません。

先にも述べましたが、「和」のDNAを維持しつつも、私たちはほんとうの「洋」も知ることなく、馴染めないまま宙ぶらりんの住宅文化のさなかにあるといってもいいでしょう。

 

もう一度、原点に還ります。

そんなに南からの強い日差しが必要でしょうか。すがすがしい空気と朝日が入る東向きの居室がいいですし、書斎のように明かりがほとんど入ってこない空間も落ち着きます。北側に素敵な眺望があれば、それを諦める必要はなく、大きな開口部を設けるべきです。

 

日中、南からの強い光が差し込むと、テレビが見えにくくなり、カーテンを閉めてしまいます。窓のそばでは強い光に目がくらみ、新聞も読めず、読書もできません。かつては縁側という緩衝帯がありましたが、それを失った建築での南面採光は、デメリットも多いことがわかります。

 

たくさんの日射を取り込むことと同時に、多くの熱が逃げる。だから窓の性能にもこだわる、という発想が私たちには欠けていたのです。

窓の性能を上げれば、北側でも大きな開口をとれますし、南側を特別扱いすることもありません。

問題は、窓を取り付ける方角ではなく、窓そのものの(正確にはサッシを含めて)性能だったのです。

 

終日安定した光は「北側」にあった

敷地に制限がある、隣地に建物があり採光が制限される場合、あえて北側に性能の高い窓を設けて、終日、光を確保することもできます。

直射日光ではない分、温度上昇は少なく、夜明けから日没まで一日中光が安定しているのは、意外と知られていないメリットです。

1階でも2階でも反対の方角の窓を開けることで、効率のいい換気通路をつくることもできます。

 

天窓

北側の天空光は終日安定した光。


 

隣家の距離が近い、設計上大きな窓が難しいときなどは、天窓(トップライト)という選択肢もあります。

外国の童話では、屋根裏部屋や2階に天窓がある場面がよく出てきます。日本の家でも、吹き抜け上部に設置するなどすると、屋内全体に光を配ることができます。寝室の北側に設置すると、ベッドに横になりながら、星空を観賞することもできますのでおすすめです。

 

同じ大きさの窓でも、壁に取り付けた窓に比べ約3倍の光を得ることができ、窓の開閉は手動・自動の両方がランナップされています(ブラインドも手動・自動の両方があります)。

 

天窓に関しても、やはりヨーロッパが先進的で見本が少なくありません。私の取材したなかでは圧倒的にベルックス社製(デンマーク 1941年の創業)が多く、欧米ではでトップシェアを維持しており、施工実績がけた違いです。

展示場に行く機会がありましたら、「北」の光について確認することをお忘れなく。

 

 

 

 

輻射熱と(冷)暖房の相関関係

風呂 ヒーター

輻射熱に囲まれた空間をめざす理由

壁や床、天井などが薄かったり(冷たかったり)、いろいろな場所から隙間風が入ると(低気密)、どんな暖房を使っても快適になる暇がありません。冷房時も同じで、エアコンの効率はよくないままで、強い日差しに熱せられた屋根や壁からの熱が夜間から朝までじわじわと室内側に放射され、確実に電気代の何割かが垂れ流しに近い状態になります。

 

冷暖房の効果を上げるためには、連続して熱を配り、壁・床・天井・家具などに熱を蓄え、その熱を逃がさないことが大原則です。そうすることで、屋内に溜め込んだ熱を利用した冷暖房が可能になります。ここでは、屋内の「壁・床・天井・家具」などを冷やさないという発想です。

冷房にも同じことがいえます。熱くなった天井や壁をいきなり冷やすことはできませんが、高めの温度設定でも連続して運転することで室内側にじわじわ伝わる熱を跳ね返し、涼房空間を維持します。ここでは暖房時と反対で「壁・床・天井・家具」などの温度を上げ過ぎないという発想です。

 

気温が低い日の屋外で、たき火にあたると身体が暖かく感じるのは、火から放射された輻射熱を身体が吸収しているから。

寒い朝、家のなかでお日様が差し込む場所だけが暖まるのも輻射熱のおかげ。周囲の温度にあまり左右されず暖かさを感じるという不思議な熱です。

この輻射熱を一定に保つことが、連続して冷暖房する目的といえます。

 

屋内に蓄えられた熱の温度は表面温度といわれ、床、壁、天井、窓、そして家具など目に見えるもの、ほとんど全ての平均温度をMRT(平均輻射温度)といいます。

私の家、私のアパートは寒いから、といっても寒いなりのMRTがあり、蒸しかえるような真夏の締め切った室内にも、暑いMRTがあります。

そのMRTが輻射熱でもあるのです。

 

窓

欧米では古い住宅でも窓下に必ずラジエータが設置されている。

 

空気の温度と体感温度はまったく違う

 「えっ、何言ってるの?」とツッコミを入れたくなるところですが、次のような場面を想定してみます。

真冬に仕事から帰ってきてエアコン(暖房設備)をつけても、しばらくの間、暖かさを感じない。

エアコンをつけて、30分。温度計を見ると、20℃を超えている。暖房をオフにする。すると、30分もしないうちに寒さを感じる。温度計はまだ18℃なのに、といった具合です。

 

夏場は逆の展開です。朝、エアコンを切って仕事に出かけ、夕刻、帰宅。冷房を急速モードにして運転。しばらくして温度計を見ると28℃。もういいかな、とスイッチを切る。30分、1時間後はまた蒸しかえるような暑さ。

こうした現象は、MRTが、ゆっくり身体に伝わってくるから。空気の温度と「体感温度」は違うことがおわかりいただけるはずです。

 

体感温度は簡単な式で表しますと――

体感温度=(室温+MRT)÷2

エアコンで空気の温度が20℃になったとしても、MRTが10℃ですと

(20℃+MRT10)÷2=15℃

となり、この温度ではなかなか暖かさを感じることはできません。

 

夏の猛暑日を想定して、エアコンで空気の温度が26℃になるまで運転し、MRTが34℃(猛暑日の西側の外壁などは40℃を軽く超えます)ですと

(26℃+MRT34℃)÷2=30℃

温度計やエアコンの設定温度とは裏腹に、いつまで経っても涼しさを感じないことがわかります(※本来は、対流や湿度などの条件が加味され、より詳しい体感温度を求めますが、ここではMRTの影響をわかりやすくお伝えするために、簡単な式を用いています)。

 

パネルヒーター

低温水による輻射熱暖房は暖房感がソフト。



欧米では主流の「寒くない」温度の空間

屋内を連続して暖めることを「全日全館暖房」といいます(冷房時の場合は「全日全館冷房」)。

北海道で生まれた言葉ですが、一言でいうと、家のなかがいつも「暖かい」というよりは、どこも「寒さを取り除いた」状態をいいます。

春先のような穏やかな暖かさ、初秋の小春日和の温もりみたいな暖房感。夏期は反対に「暑さを取り除いた」状態が、寒さを感じるくらいの強い冷房空間より快適です。

 

外国の映画を観る機会があったら、窓下を注意して観てみましょう。

半世紀も前の映画のなかでも、アパートや戸建て、どちらでもいいのですが、窓下には必ずといっていいほど、暖房のラジエーターが備わっています。どんなに貧しい住まいでも、どの部屋、空間も寒いことを許さなかった、彼らの徹底した暖房思想といえます。

ヨーロッパの伝統建築は石造り。

連続して熱を配ることで蓄熱しやすい構造でした。暖炉やペチカの小さな火は終日消えることはなく、まさに「全日全館暖房」の先駆者であったことがわかります。 

 

熱源に関わらず、住まいのなかでの冷暖房設備は脇役に過ぎません。

どんなに優れた性能を備えていても、薄っぺらな壁や屋根、窓を開けっ放しにしている(低断熱・低気密)状態では暖める熱も冷たい熱も短い時間で逃げてしまいます。

 

MRTが冷えたり熱せられたりするのは、せっかく暖まった、あるいは冷えたMRTをもとの状態に戻してしまうから。節約しようと、こまめにオン・オフをすればするほど、MRTは安定することなく、体感温度に影響を与えているわけです。それにエアコンなどはスイッチをオンにしてから安定するまでにかなりの電気を消費します。クルマに例えると、信号で止まったり、また走って止まるを繰り返すより、時速40キロで走り続けるほうがガソリンの消費効率がはるかに高いことと同じです。

 

屋内に連則して熱を蓄え、全体からじんわり放射させると、お日様に近い暖かさが確保できます。

エアコンは対流で空気を暖めますが、小さな熱でも連続運転して配ることで屋内の壁や天井、床などに熱を溜め込み、輻射熱との相乗効果による快適な暖房空間を創ることができるのです。

 

夏期はこの反対で、エアコンを28℃程度で連続運転することでMRTの上昇をさまたげ、うだるような環境になることを避ける手段となります。

近年のエアコン、ストーブなどのサーモスタット(設定温度になると自動で運転を制御)は優秀なので、つけっぱなしにしておいても自動で温度調節をしてくれます。

ついでに申し上げると、FFストーブ、ファンヒーターなどの耐震自動消火装置も優れもので少し足でつついた程度でも、運転がストップします。

地震対策としては、製品そのものの安全性よりも、炎のある暖房機の近くに燃えやすいものを置かないことのほうが現実的な対処といえます。

 

日本の冷暖房設備は世界でもトップレベルの性能を誇りますが、熱的な建築技術が欧米に及ばなかったことで、力づくで冷暖房をしようという発想で発達してきた経緯があります。

 

連続運転とオン・オフを繰り返す間欠運転とのコストは、断熱・気密性能によって大きく異なりますが「次世代省エネ基準(平成11年基準)」レベルの性能を備えた建物では、間欠運転よりも連続運転のほうが割安になるケースもあります。

 

少々高くなったとしても、24時間、いつでも同じ温度で快適さを得られるのであれば、私はこちらを選びます。

参考までに、築30年の我が家(2015年 屋根と窓を断熱改修)の暖房運転ですが、11月-3月までオフにすることはありません。

数日間留守にするときには、特にスイッチを切ってはならないのです。せっかく蓄えられた熱が冷めてしまうのはもったいない。それだけの熱をまた蓄えるためには、また何週間もかかってしまいます。

それで、ご近所のオン・オフを繰り返しているお宅よりも光熱費は安く済んでいるのですから納得です。