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壁面コーディネートの悩み

インテリア 鏡

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日本人の美意識と「インテリア」の違い

これまで、たくさんのお宅を拝見してきましたが、日本の家のインテリアコーディネートはまだまだ未熟、というのが率直な感想です。

ちゃんとした理由があります。

日本の家屋にはそもそも家具がなくても暮らせる工夫があって、そもそもインテリアという概念がなかったのです。

いい悪いのお話ではなく、文化が根本から違っていたのですから仕方がありません。

 

私が生まれたのは、5、6世帯が同じ屋根の下で暮らす鉄道官舎。昭和30年代に建てられた古い建物でした。

父が鉄道員で、4人家族でも、6人家族でも、どの家庭も8畳1間で暮らしていたのです。

家具といえば、茶箪笥とちゃぶ台、衣装箪笥だけ。ほかの家族の部屋にも、椅子やテーブルはなかったと思います。

 

おばあちゃんの家はさすがに官舎より大きかったのですが、叔父の家族と祖父母の6人が住むその家でも、家具の数は同じでした。

昭和のはじめに建てられた家に「インテリア」は存在せずとも「美しさ」がなかったかといえば、そうではありません。

 

柱や梁には地元のマツやスギが使われ、床にはブナやサクラの無垢が惜しみなく使われていました。

それらの材は、木目が見事に調和するよう「適材適所」で使われ、襖や衝立には大工で画家でもあった祖父が鶴や虎の絵を描き、障子や欄間や格子戸は、地元の職人が組子の模様を刻んでいました。

 

白い障子に揺れる庭の草木、欄間から伝わる家族の気配、すがすがしい畳のイグサの香り、朝から夕までかすかな自然光に陰翳を湛える漆喰や塗り壁など、それらは「木」と「土」と「紙」でしかないはずなのに、確かに「空間」を醸しているのでした。

 

私たちは、こうしたデジャ=ビュを持ち合わせているはずです。

しかし、いつの頃からか洋風のデザイン、洋風の暮らしに変わっていくのですが、それらはあくまでも「風」でしかありません。

若い世代を中心に和の文化が見直され、望んで数十年から100年も前の農家や町家を手直しして家にしたり、お店にするケースが増えているのは、とても素敵なことだと思います。

 

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洋風の暮らしで置き去りにされてきた「壁」

洋風の生活がいけないわけではないのです。

茶の間はリビングに変わり、畳が一枚もない家も増えています。が、私たちはいまだに玄関で靴を脱ぎ、床に座り、寝そべり、洋式の便器や浴槽を用い、ソファやベッドのお世話になりながら、和と洋の良さを取り込んだ暮らしを実現しているのです。

 

照明は、天井に吊るされた裸電球から蛍光灯、間接照明へと変化し、棚一つとっても、食器棚、TVボード、サイドボード、チェスト、本棚、キャビネット、吊戸棚など、数えきれない種類とデザインの製品が増えて、ゆたかな暮らしになりました。

 

かつてのちゃぶ台はテーブルにとって代わり、テーブルはダイニングテーブル、リビングテーブル、サイドテーブル、勉強机に作業机と用途によって区別され、一つの家具を幾通りもの「用」で使うことはなくなりつつあります。

そこらにお気に入りの小物を置けば、両親から片付けろと叱られ、アンティークの雑貨など、古臭いと視界に入ることさえ許されなかった時代がありました。

 

本音では「インテリア」に戸惑ってばかりいる気がするのです。

この「洋・風」の空間をコーディネートする際に戸惑うのは、家具やファブリック、照明のアレンジだけではありません。

私たちが、「壁」のデザインをしてきた経験が、あまりに少なかったことにも気づくのです。

 

かつて、絵画を飾ることのできる家といえば、多くはお金持ちでしたでしょうし、家族の写真といえば仏壇の上の遺影が真っ先に思い浮かぶくらいでしょう。

 

 

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壁を飾るアイテムで空間のさびしさを解決

どんな家にも壁はあります。

土壁や漆喰ではなく、ほとんどがモノトーンで、壁面は空白のまま、さびしく見えてしまう壁です。

洋風の空間が定着したにもかかわらず、私たちはいまだ、その空間をコーディネートするノウハウを身に付けられずにいるのかもしれません。

 

壁に飾ることのできるアイテムを考えます。

下記のようなものが、すぐに頭に浮かびます。基本的なものばかりですが、この3つを応用するだけで、ほとんどのお住まいの壁はコーディネートできるのです。

 

壁 絵画

 

1.絵・ポスター・パネル

額縁のあるもの、ないもの、多くの種類があります。

飾ったからといって殺風景でなくなるわけでもなく、ここにあったらどうかしら、という程度のスタートでいいのです。

同じ絵でも、カンバスのように木枠でできているパネルは、壁面を立体的にする効果があり、通販でもたくさんの種類が入手できます。

私のところには、地元の美術館の広報から、企画展のたびにA全サイズのポスターが送られてきます。

その都度、細い黒枠のアルミフレームに入れ替え、アトリエに飾ります。壁面に飾るのが飽きたら、床置きで壁に立て掛ける、階段の踊り場に置くなど、移動が自在なのがこのアイテムの長所でしょう。

 

2.写真

家族の記念写真を飾っても、あまり冴えないのはフレームや写真スタンドが問題だったのではないでしょうか。

外国の映画ではさまになって見える家族写真ですが、日本の家では、どういうわけか、うまくいきません。

パネル大にするのであれば、写真展で使われるプロ用のフレームも選択肢。素人写真でもフレームを変えるだけで見違えるようになります。

最近発見したのですが、FUJI FILMのパネル加工(額装)サービス「WALL DECOR」は、自分の写真を好きな形状のパネルに加工してくれるもので、大きさ、フレームの有無や種類を選ぶことができ、写真データは簡単にパソコンから送ることができて、作品は自宅まで届きます。

カメラ屋さんに行かなくとも、プロ仕様の加工ができるなんて、すごいことです。

 

3.オブジェ

平面の壁に立体感を加えることで、空間は強烈に個性化されます。

オブジェで思い出すのが、私の友人のA夫妻。

自転車が趣味の彼らは玄関を入って真正面に2台の自転車を壁掛けし、訪問客を迎えるようにしました。もっとも、自分たちも毎日、大好きな自転車を眺めながら家を出入りできるのです。

壁掛け花器、時計だけも、選ぶ楽しみがあります。

板1枚で作れる飾り棚やラックを設け、そこに小物を並べても立派な壁面を飾るオブジェ。人気のウォールシェルフも安価で、壁を傷つけずに取り付けできる製品がたくさんあり、賃貸に住む人にもおすすめです。

 

結論を先に述べさせていただくと、和の伝統美を洋風の空間とコラボさせる「和モダン」などは、デザイン力だけで具現するのは難しく、和洋の建築について深い知見と考察が求められます。

予算があれば、インテリアコーディネーターの力を借りるのもいいのでしょうが、趣味と楽しみを兼ねて、日曜大工ならぬ日曜コーディネートから試してみてはいかがでしょうか。

本棚の整理は「再読」から

 

読書

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蔵書がカビだらけになる理由

本好きの人は少なくありません。

新築やリフォーム計画時には、自分の書斎とまではいかなくとも、できるだけたくさんの書棚を設け、毎日本を眺めながら暮らしたいと望む人もたくさんいます。

 

書棚をたくさんほしいという人は、実は書棚が埋まっていないと落ち着かない人ではありませんか。

書棚を設けたはいいが、空きがあると、あとになって一層本を買い込むことになってしまいます。

 

地下室や屋根裏が利用できればいいのですが、湿気の問題があります。

これまで日本の住宅の大半が、冷暖房のオン・オフを繰り返す「間欠(冷)暖房」であり、屋内全体の温度分布を均一にする「全館(冷)暖房」ではなく「個別(冷)暖房」でした。

こうした環境では、屋内に温度差をつくってしまい、空気の澱んだところや他よりも温度の低い部分に結露を招き、その結露がカビ、ダニの問題まで引き起こしてしまいます。

本がカビだらけになってしまうのは、おおよそこのような場所、原因が多いのです。

 

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本棚の容量を超えたら処分する

通路やホールを利用して書棚を増やすのは簡単な対処法ですが、やがては家中どこを歩いても、常に本が目に入ってしまいます。

ご主人はご満悦でも、奥様やお子さんたちが、どこに行っても本だらけで気持ちが落ち着かない、といったケースも少なくありません。

 

対処法は二つあります。

一つは、家族全員を本好きにしてしまうこと。もう一つは、定期的に書棚本を入れ替えることです。

 

家族全員が本好きならば、家中が本だらけでもみなさん、気になりません。しかし、問題は家の広さ。体育館のような面積があるならともかく、一般住宅の面積などしれています。

 

どんなに書棚を増やしたところで、やがては必ず書棚が埋まる日がやってくることは目に見えています。

どちらの対処法をとるにせよ、定期的な入れ替え作業は避けては通れないのです。

 

私は出版を生業としていますが、蔵書の多いほうではありません。

定期的に、書棚の入れ替えをしているのです。

 

以前は、書棚がいっぱいになると、知人の古本屋さんに来てもらい、軽トラックで、まるごと持っていってもらっていました。

 

しかし、捨てるべき本を数十数百と選ぶ面倒な作業を経ても、1万円か2万円にしかならないことを踏まえ、いまは、捨ててもよい本だけの書棚を設け、大切なものは専用の書棚に入れておくようにしています。

こうすると、町内会の資源回収時などに、いつでも気軽に出せるわけで、整理にもそんなに手間がかからずに済みます。

 

それでも「あの本どこに行ったっけ?」とあちこちの書棚を血眼で探し回るようなこともしょっちゅうで、捨ててしまったことを後悔し、また同じ本を買うこともままあるのです。

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本は繰り返し読んで価値がある

 昔、作家のKさんを取材したとき、こんな話をうかがいました。

子どものころから本好きで、大人たちも驚くような速さで近くの図書館にある本をほとんど読んでしまった。

 

母親に「もう読む本がなくなった」と告げると、母親はKさんをその図書館に連れて行き、「この本には何が書いてあったか」と1冊ずつ尋ねた…というのです。

 

答えに窮したKさんは、読書の量ではなく、いかに深く読むかをそのとき教わった、と話していました。

 

同じ本を、何度も何度も繰り返し、自分のものにするまで読むことが、とても大事だと話していたのが、いまも心に残っています。

 

いわゆる「再読」ですが、最近の私の読書も、ほとんど新刊を買うことはなく、書棚にある本を読み返すことの繰り返しです。

 

とはいえ、自分の場合、お小遣いが制限されていることと、能力的な限界もありますので、何度も繰り返して読まないと血肉にならない…というのがほんとうのところです。

 

 

土間の「間」の意味

土間 下駄

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土間から始まった住居

昔の町家や農家にうかがうと、土間が広くとられていることに気づきます。土の間、つまり土で作られた空間ですが、土といってもただの土ではありません。

土や砂利に石灰、ニガリなどを混ぜ、叩いて固めたもので、3つの材料を用いることから、この土を三和土(たたき)と呼びます。

 

いつのころから、土間がつくられたのでしょう。

明確な答えはないものの、縄文時代からさらに時代をさかのぼり、家らしきものができたころから、といってよいでしょう。

家のはじまりは、土の上に雨露を防ぐ屋根「らしきもの」をかけただけだったはずなのです。

 

縄文時代になると、踏み固めた地面に柱を立て、梁とつないで骨組みがつくられるようになります。

入口は盛り土をし、雨や泥が入らないよう工夫され、階段を少し下って土間となります。

竪穴式住居のはじまりです。

 

時代が変遷するとともに、土間の一部は板張りの「床」となります。その床の一部に畳が敷かれ、いわゆる和風住宅の様式が形成されていくのです。

 

西洋では、寝るための床の敷物がベッド=家具となり、日本では敷物が板張りの床として変化しました。

こう考えると、土間が西洋と日本の住まいの文化の分岐点になったともいえそうです。

 

 

家の「内」に組み込まれ

外のようで外ではなく、内のようで内ではない。土間は半分外のようで家の「内」にある曖昧な空間です。

 

お客さんはそこで立ったまま家人と話をし、框に腰かけて会話をするなど、土間は人の関係も曖昧に保つ空間でした。

 

最近の玄関は靴の履き替えだけの場所となり、めっきり土間を見かけることが少なくなりました。玄関は「内」のみに組み込まれ、自然とのつながりが分断されてしまったのです。

 

曖昧なゆとりも消失し、お客さんは玄関に立って話をすることも許されません。土間で、漬物を漬けたり、大工仕事をしたりと作業をすることも難しくなっています。

 

地方の取材では、近所の人が来たとき、長い時間、滞在されないようにと、あえて土間をなくした住宅を多く見かけました。家のかたちだけでなく、近所づきあいも変化しているのです。

 

 

曖昧空間のよさを見直す

外と内の間に「間」を与えることで、外の光や風の恵みを屋内に引き込むことができます。

異なる領域がつながれた部分でできる曖昧さは、まさに「間」。

 

ここは何をする場所、あれをするところなど場所に機能を意味づけるのではなく、何にでも使える機能が「間」にあります。

 

昔のように三和土で作るだけでなく、タイルやレンガ、コンクリートを打って仕上げることもできます。

日差しを導き、土間に蓄熱することで、日没後から翌朝まで、日中に蓄えた熱を放熱する仕組み(ダイレクトゲイン)をつくることもできるのです。

 

このように、光や熱、通風などの自然のエネルギーを取り入れる設計をパッシブデザインといいます。

 

日本の家には、居間、寝間、仏間、床の間、客間など、たくさんの「間」がありますね。いずれも「座」式が基本で、それが「立」式な場所は、唯一、土間だけではないでしょうか。

 

仕事でも日常でも、靴を履きっぱなしの時間が当たり前のようになった現代だからこそ、土間はもっと見直されてもいいのではないかと思うのです。

ここでなになにをしたいから、こんな空間。

そうした固定された発想ではなく、これもできる、あれもできる、といった大らかな空間が、日本の「間」なのです。

 

建築のなかの直線と曲線

壁 窓

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自然界に直線はないから

中学校の美術の時間。先生はノザワ先生です。

教室に入ってくるときは、いつも気怠そうで、タバコの匂いがプンプン。仕方なさそうに授業を始める先生が好きでした。

 

1年生の、ある日の授業。テーマはスケッチです。

「そこらの好きなもの、何でも描いてみな」

という投げやりな言葉に従って、私たちはそれぞれに好きなものを描き始めました。

私は迷ったあげくに、自分の机を描くことにしました。

 

数学の時間で使った定規をカバンから取り出して、描き始めます。

机の寸法を大ざっぱにはじき出し、タテ・ヨコ・高さの割合を考えて、定規でほぼ正確に画用紙に再現しようとしました。

 

気怠そうに教室を回っていたノザワ先生は、私のところで足を止め、こういうのでした。

「おまえ、それで、キレイだと思ってるんか」

 

私はまるで設計図のように仕上げたスケッチが気に入っていました。

ノザワ先生を見上げると、顔がこわばっています。

「窓から外を眺めてみろ。定規のような真っ直ぐな線なんか、どこにもないんだ」 

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CADよりフリーハンドで想像力を膨らませる

私は反論しました。

「机だって、黒板だって、鉛筆だって、直線でできてるじゃないですか」

「俺の授業はな、技術家庭の授業じゃねーんだ」

「は?」

「曲がってもいいから、手で描いてみろ。味が出る」

 

そういって、ノザワ先生は去っていったのです。

それこそ技術家庭の料理の時間じゃあるまいし、味のことなんか、アホな私に理解できるはずありません。

確か、そのときの通信簿で美術は「3」でした。

 

改めて、自然のなかを見渡してみます。

山、川、森、樹木の1本1本、自分の身体までもすべてがなだらかな曲線を描いています。私たちは無意識のうちに、それらを美しいと感じています。

 

設計図や工業製品であれば、正確な直線も必要なのでしょうが、絵画も造形も、確かに、定規で引いたような直線はなく、そんな線があったら味気ないことがわかります。

 

建築でも、どこかに手の跡が残る建築が美を放つのでしょう。

直線や円形も見方によっては美しく見えます。

が、美しいと思ったり、味や温度を感じたりするものには、なだらかな曲線が存在するようです。

 

CADで提案される間取り図より、フリーハンドで描かれた図面で打ち合わせをするほうがわかりやすい。

そう振り返る施主が、思いのほか多いのです。

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胎内にいる感覚を空間づくりに

しかし、家のなかは、圧倒的に直線に支配されています。

構造的にも仕方のないことですが、それらは直線は直線でもフリーハンドで描いた直線のやわらかさを持っているのです。

 

そこにちょっとでも曲線=アールがあるとホッとします。アールの窓、下がり壁などです。

 

アールを連続させると、光が曖昧となり浮遊感が醸されて、ときに母親の胎内にいるような、自然のなかで樹木の幹を連想するような感覚が甦ります。

 

壁や床の区別や存在が希薄になり、希薄さが助長されるなかで空間は抽象化され、研ぎ澄まされた感覚との邂逅をもたらすのです。

 

これは私たち人間が、自然のなかで美的な感覚を養ってきた証拠であり、DNAでもあるのかもしれません。

 

だからといって、曲線だらけの世界も困りもの。

気持ちがイライラしてきます。

アールも実は、直線があってこそ生きてくるのです。

 

直線と曲線とが補完しあって初めて、全体が美しく調和する。

家もまた自然の産物。

 真っ直ぐ過ぎても、曲がり過ぎてもうまくいかないのは、人生と同じです。

南面採光からの脱却

 寝室 ベッド 窓

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窓から熱を得るのは昼間だけ

日本の家は南面の開口部を大きくとるのが特徴です。

南面の壁全体が開口部のような家がいまもたくさん建てられています。

 

都市部でも、建売住宅やマンションの広告を見ると「南面リビング」をPRする物件が根強い人気。

アパートも「日当良」は基本の基本というのはしかし、日本ならではのものかもしれません。

 

日本より緯度の高い欧州では、東向き、北向き、西向きとバラバラであることに気付きます。

道路に向いて建っているのが特色かもしれませんが、日本の家ほど南向きにこだわっていないことだけは確かです。

 

南向き、大きな開口部で、ほとんどが掃き出し窓。

そこには、出入口と通風・採光用の開口部と壁との役割を曖昧にしてきた、日本の家の原点が見えてきます。

 

家は夏を旨として建て、冬は自然エネルギーの代表としての太陽光を採り入れる。

そのために開口部は大きければ大きなほどよい、といった考え方、出入りのない部分まで掃き出し窓にしてしまう、といった考え方が、長い歳月をかけて根付いてきたのです。

 

しかし、採光・熱の取得といったメリットが享受できるのは昼だけ。夜には昼間に取り込んだ以上の熱が、大きな窓から出ていってしまいます。

そして朝には外と同じような室温になっている、そんな家はいまも少なくありません。

 日射コントロールをする方法

これまでの家には、昼間の熱を蓄えておくといった工夫もありませんでした。

地震のときには、壁や柱が少なく、開口部を並べた強度不足の南面の壁がわざわいし、屋根の重みが加わって倒壊の危険性が増すこともあったはずです。

 

そこそこ気密性の高いマンションでは、南面採光のリビングにこだわりすぎることで、夏は蒸し風呂状態となり、高い冷房代を余儀なくされることもあります。

日差しを取り込むばかりで「遮へい」など日射を制御することが考慮されてこなかったのです。

 

そんなにも南からの強い日差しが必要なのでしょうか。

すがすがしい空気と朝日が入る東向きの居室があってもいいでしょうし、書斎のように明かりがほとんど入ってこない空間も落ち着きます。

 

北側に素敵な眺望があれば、それを諦める必要はなく、大きな開口部を設けるべきでしょうし、開口部の性能さえあげておけば、快適さを確保しながらの省エネルギーも可能なのです。

 

終日安定した光は「北側」にある

敷地に制限がある、隣地に建物があり採光が制限される場合は、あえて北側に窓を設けて、終日、光を確保します。

 

隣家からの距離が近い、設計上大きな窓が難しいときなどは、天窓という選択肢もあります。

 

外国の童話では、屋根裏部屋や2階に天窓がある場面がよく出てきます。

日本の家でも、吹き抜け上部に設置することでリビングを中心とした屋内全体に光を配ることができます。

 

北側に設けた窓との相乗効果で「北」の光がこんなに明るいことに驚きます。実は、夜明けから日没まで、終日安定した光は「北」の光だったのです。

 

全ての開口部を断熱化する

住宅では、窓などの開口部を通して、冬は58%もの暖房の熱が逃げ、夏の冷房中に日射で入ってくる熱の割合は73%に及びます(日本建材・住宅設備産業協会)。

 

いまも見かけるアルミサッシは、欧州諸国では人の住む建築物には使えないことを知る人は多くはないでしょう。

 

我が家の窓も全て、5年前のリフォーム時に樹脂枠(サッシ)+トリプル(3層)Low-Eガラスに交換しました。

 

Low-Eガラスには、断熱タイプと遮熱タイプがあり、地域の気候によって選択します。

より高い断熱性能を発揮させるため、ガラスとガラスの間にアルゴンガスを充填した製品もあります。

 

窓のことは何度も繰り返し、いろんな角度からの検証が必要です。ここで少しずつ一緒に学んでいければ幸いです。

 

 

照明は「闇」の演出と心得る

闇 本 スタンド

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「漆黒の闇」が消えた日本

インド北部のあるいなか町を歩いていたときのことです。

周囲に民家があっても、わずか20センチ先も見えない路地がいくつもあります。

生まれて初めての「漆黒の闇」。

 

現地の人は、そんな深い闇のなかでも、数十メートル先まで見通していることに驚きました。

闇のない場所で育った私たちはすでに、視力さえ衰えてしまったのかもしれません。

 

京都で二条城を見学した際のことです。

城内に入って目に入ったのが、広大な畳の間の拡がり。長い廊下に沿って居並ぶ鈍く光る襖、黄金に輝く天井。

それらがうす暗い自然光のなかで、うっすらと重厚な光を放っているのがわかります。

 

陽が暮れて闇に覆われ、そこに行燈、燭台などがあれば、闇の一部を切り裂くように、黄金の世界が浮かび上がるでしょう。

 

闇のなかで初めて、明るさは意味をもちます。

奥深い山のなかでも、月が照っていれば明るさを感じます。

ロウソク1本だけで、空間全体が浮かび上がるほどの明るさを実感することもあるのです。

あのような建築は、夜間にこそ見学させるべきだと思いました。

 

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時の移ろいによる陰翳を味わう

最近の住宅には、昼間の光のような明るさはあっても、闇はもちろん、闇と明るさの間にあるグラデーション=陰翳もなくなりつつあります。

 

蛍光灯は光源が広く、空間全体が均一に照らされるため、作業には適しますが、陰翳がありません。

欧米で蛍光灯といえば、倉庫や工場など作業向けの照明で、一般の住宅ではガレージや地下室にしかないのです。

 

新築の取材でよく目にすることですが、床の間を設けても、その上部に照明を設ける家は少なくありません。

しかも、その照明の多くが蛍光灯です。

 

床の間にの掛け軸、そこに置かれた季節の花は、均一な明るさによって美しさを表現されるべきではなく、陰翳での演出が要求されて初めて存在価値を発揮します。

四季折々、朝、昼、夜と光がうつろい、刻々と変化するその光と陰翳のなかで変化する美しさを味わうよう計算されてきたのです。

100年、200年前の日本の伝統建築に蛍光灯などなかったのですから、床の間に蛍光灯というのが、どうにも不思議に思えてなりません。

 

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闇を演出する発想とその手法

文豪として知られる谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』にこんな一文があります。

──諸君はまたそう云う大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光りが届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぼうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。

その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げているのであるが、私は黄金と云うものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。『陰翳礼讃』((角川ソフィア文庫))

伝統的な日本家屋には、必ずといっていほど、光と闇とその中間がありました。

中間が陰翳です。

 

古い家屋では、奥に行けば行くほど闇が重なり、床の間に置かれた季節の花や光を透かす欄間、透明なシェードを附けた電球、襖に描かれた金や白の大華や鶴など、闇のなかでほのかに浮かび上がる「しかけ」がいくつもありました。

 

「陰」のなかの「光」が計算され、それは遊び心でもあり、光と陰で演出する意匠であったのでしょう。

 

谷崎は同著のなかで、女性の美にも触れています。 

──夜光の珠も暗中に置けば光彩を放つが、白日の下に曝せば宝石の魅力を失う如く、陰翳の作用を離れて美はないと思う。つまりわれわれの祖先は、女と云うものを蒔絵(まきえ)や螺鈿(らでん)の器と同じく、闇とは切っても切れないものとして、出来るだけ全体を蔭へ沈めてしまうようにし、長い袂や長い裳裾で手足を隈の中に包み、或る一箇所、首だけを際立たせるようにしたのである。『陰翳礼讃』((角川ソフィア文庫)

舞妓さんや芸者さんたちの真っ白なうなじは、ロウソクや行燈など、薄暗い灯りに浮かび上がると、どんなにか色っぽく、艶めいていたことか。

想像してみてください。蛍光灯の下での、舞子さんの真っ白なう・な・じ。

 

ホテルの部屋の灯りがスタンドや間接照明のオレンジの光ではなく、蛍光灯の白々とした光だとしたら、くつろぎの時間も半減してしまうのと同じです。

 

照明については機会をあらため詳しくふれますが、住まいの照明は、昼間の明るさを夜に再現する装置ではないようです。

 

闇の時間をいかにゆたかに演出するか。

照明計画は、そんなふうに考えるところから、始めたいものです。

 

輻射熱暖房を理解する

風呂 ヒーター

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全日全館暖房をめざしてほしい理由

壁や床、天井などの断熱が悪かったり(冷たかったり)、いろいろな場所から隙間風が入ると、どんな暖房設備を使っても暖まる暇がありません。

エネルギーも垂れ流しに近い状態になります。

 

暖房効果を上げるためには、断熱・気密性能を向上させ、連続して熱を配り、壁・床・天井・家具などに熱を蓄え、その熱を逃がさないことが大切であることはこれまでも述べてきました。

 

気温が低い日の屋外で、お日さまがあたると身体が暖かく感じるのは、太陽から放射された熱を身体が吸収しているから。

寒い朝、家のなかでお日様が差し込む場所だけが暖まるのは「輻射熱」。周囲の温度にあまり左右されず暖かさを感じるという不思議な熱です。

 

屋内に貯め込んで、全体からじんわり放射させると、お日様に近い暖かさが確保できます。

 

エアコンは対流で空気を暖めますが、連続運転して熱を配ることで屋内の壁や天井、床などに熱を貯め込み、輻射熱による快適な暖房空間を創ることが可能です。

 

しかし、もったいないからと就寝時にスイッチを切ってしまえば、せっかく蓄えた熱も朝までに冷めてしまいます。

 

断熱・気密性能を高めた家での暖房は「暖かくする」のではなく、家のなかを「冷やさない」ことに意味があるのです。

 

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欧米では主流の「寒くない」環境

屋内を連続して暖めることを「全日全館暖房」といいます。

欧米では伝統的な暖房手法ですが、暖房感は家のなかが「暖かい」というよりはどこも「寒さを取り除いた」という状態。

夏のような穏やかな暖かさ、初秋の日向ぼっこの温もりといった暖房感です。

 

今度、外国の映画を観るときには窓下を注視しましょう。

半世紀も前の懐かしい映画のなかでも、アパートや戸建て、どちらでも、家のなかの窓下には必ずといっていいほど、暖房のラジエーターが備わっています。

 

彼らは24時間、暖かい環境をつくる――というよりは、屋内が寒くならないように熱を配り続ける知恵をもっていたのです。

 熱を配り続ける際、石造りは熱を貯めることに大いに貢献しました。

 

熱源に関わらず、住まいのなかでの暖房設備は脇役に過ぎません。

主役は断熱・気密といった性能であり、その性能次第でエネルギー消費や快適性、設備の選択方法も異なります。

繰り返しますが、優先すべきは設備ではなく、構造体の性能なのです。