こんなにも「ソーシャル‐ディスタンス【social distance】=社会的距離」という言葉を頻繁に聞いた時代があったでしょうか。距離と空間は意味が異なるものの、他人との距離感を示す際、「パーソナルスペース」という概念もあります。個人と個人、文化の相違によっても大きく異なる、もう一つの「ディスタンス」について。
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「腕を伸ばした」くらいが限度
電車のなかはがらがらなのに、隣に誰かが座る。
バーのカウンター。
壁際を選んで座ったつもりが、
おおよその日本人が違和感を抱く場面です。
他人に侵入されて
不快に感じる領域を「パーソナルスペース」といいます。
個人や文化によって広さは異なり、
日本人はおおよそ
腕を伸ばしたほどの距離感が境界といわれています。
インドや中国の人たちに戸惑う
海外を旅するとき、日本で外国人を目にするとき、
戸惑いを感じるのは、
この「パーソナルスペース」の違いによることが少なくありません。
インドでは、電車やバスの2人掛けシートに
3人、4人が
ぎゅうぎゅう詰めで腰掛けるなど日常茶飯事。
男同士が仲良く手をつないで歩く光景もよく見かけます。
駅のトイレで、他が空いているにもかかわらず、
私を挟んで両脇に人が立ち、
交互に他人様の下半身をのぞき込む。
1人が親指を立てると、片方が「もっと小さい」と小指を立てる。
こんな屈辱を何度も味わったのも、この国でした。
空港で搭乗口に並ぶときなど、
前と隙間ができた途端に
割り込んでくるのは、中国や南米の人たち。
自主的に列をつくらない文化なのでしょう。
韓国を旅して驚くのは、
通行人同士がぶつかっても、あまり謝らないこと。
店の軒先を掃除する人から、
誤ってホースの水をかけられても、
相手のほうから「ケンチャナヨ(気にするな)」と諭されます。
こちらはつい「すみません」と頭を下げてしまい、
その後しばらく「なんかなあ」と違和感を抱えることになるのです。
文化の違いが空間感覚の違いに
これらの国の人たちは、それだけ人懐っこく、
はじめから相手に不信感を抱かない人たちでもあります。
信頼関係ができれば、
とことん相手を信じる律儀さを持ち合わせ、
実際、これまで何度救われ、支えられてきたかわかりません。
欧米ではさらに「パーソナルスペース」は広くなります。
イギリス人はホームで電車を待つときも、
あまり場所を詰めようとしない。
フィンランドやスウェーデンでは、列をつくるときに
4、5人分ほどのスペースを空けて待つ。
文化の違いといえばそれまでですが、
グループではなく、1人で歩くことが多い旅人は、
その都度感情が足し算、引き算を繰り返し、
疲れ果ててしまうことになるかもしれません。
性格の違い、文化の違いで
パーソナルスペースは大きく変化します。
親と子の間にも
空間の違い、距離があります。
特に、子どもが自立するとき、親は寂しいですが
そこが踏ん張りどころ。
子どもとのパーソナルスペースが
このときほど大切な時期はありません。
さて、自分と向き合うとき。
感じる空間は、どんな大きさ、かたちでしょうか。