Where we belong.=【家を知る・家に住む・この家で生きる】

そして、私たちの「居場所」について。

【子どもと壁】=ここから先へは行かせない! いざというとき、子どもの前に立ち塞がる「壁」になる。

 

 

 

 

 

 

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かつての日本の家は(小さな家でも)大きな空間をふすまや障子で仕切り、開閉を自在にしながら住みこなす技術が求められました。それが、ある時期からプライバシー確保の名のもとに小さな面積にたくさん壁が設けられ、狭い個室ばかりの家が増えていきます。nLDKという、実は世界に例のない日本独自の空間概念が生まれ、家族の暮らしも、家族と家族の気持ちのつながりまでも分断されつつあります。建築的な壁はハンマーで壊すこともできますが、いったん家族の間にできた心と心を隔てる壁は、そう簡単には壊すことができないのです。

 

Contents.

 

家族が音でつながっていた家

生まれてから4歳まで、鉄道官舎で過ごしました。

父は鉄道員でした。

 

6畳1間に台所と便所の簡素な造り。

その後移り住んだ家も、8畳の茶の間に台所、

6畳2間と4畳半、風呂・便所の平屋。

 

昭和の庶民の家といえば

おおよそこんな間取りで、仕切りはふすまや障子でした。

 

ふすまを開ければ部屋がつながり、

広めの空間となります。

家具の少ない居室は、ちゃぶ台を置けばダイニング、

布団を敷けば寝室になる融通性を備えていました。

 

音は筒抜け。

父と母とのいさかい、家族一人一人のいびきや寝言。

父への母の小言で、

家計の状態を把握できたりもしたのです。

 

 

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聞こえていても聞かない意志

高校受験を控え、

それまで妹と使っていた

4畳半の部屋を出ることになりました。

 

自分だけ深夜まで起きているわけにはいかず、

ストーブが朝までチロチロ燃える

茶の間のほうが暖かいのも理由の一つでした。

安っぽい机より、

母のミシン台の方が勉強は捗った気がします。

 

茶の間で教科書を開こうとすると

誰とはなしにテレビを消し、

妹は自室に向かい、父と母はふすま1枚隔てた

和室にこもって、床につきました。

 

深夜の静寂には、

古くて湿った綿布団みたいに

体にまとわりつく独特の重さがあるようです。

 

その力にあらがうように、

教科書は音をたてぬよう慎重にめくり、

トイレに行くのも忍び足。

台所では蛇口をひねらなくて済むよう、

飲み水をくみ置きするなど工夫をしました。

 

困ったのは電話です。

電話は当時、テレビに次いで文明の象徴であり、

最初に受話器をとるのは大人の特権。

 

ジーンジンとベルが鳴ると、

父はいつも「俺が出る」とせき払いを一つし、

威厳をもって受話器をとったものでした。

 

思春期を迎え、

私や妹に異性から電話がかかってくるようになると、

父は相手の名前を確認し、

私たちに受話器を預けてくるりと背を向け、

わざと音をたてて新聞を広げました。

 

母は母で、片づけを終えたばかりの台所で

また何かの片づけを始めるのです。

後ろを向いていても、

2人の耳はまるでダンボの耳みたいに大きく見えました。

 

 

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ライバシーって何だろう?

こうした家は、やがて

プライバシーの確保という名目で

急速に姿を消していきました。

 

公団生まれのLDKという概念は

戸建てでも人気となり、

部屋の数が家のステータスを

表わすようになっていくのです。

 

このnLDK(nは部屋数を表わす)って

実は日本の団地用に無理やりつくられた間取りで

世界に例のないことをご存じでしたか?

 

昭和の半ばを過ぎると

中心に廊下を通す田の字型間取りが普及しました。

 

壁が増えて個室が並び、

開閉自在のふすまや障子に代わって

部屋には、ドアと鍵が付けられはじめます。

 

引き戸は日本特有の建具ですが、

ドアは閉じることを目的とした西洋の建具です。

 

中廊下は採光や通風までも分断し、

一つの建物に暗く冷たい部屋ができて、

寒さや湿気を招きます。

 

玄関から茶の間を経由せずに

個室につながる間取りは、

プライバシーの確保には成功したでしょうが、

家族と顔を合わせることなく

自室に引きこもることを可能にしたのでした。

 

 

 

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ここから先に行ってはならぬ

聞こえていても、聞こえていないふりができるのは

見えない「壁」を造ることです。

 

悪さをしたわが子に「二度と敷居をまたぐな」

というこの敷居も、

善と悪とに「結界」があることを示すことといえます。

 

こうした日本人特有の空間感覚が、

子どもの道徳感を育んできたともいえるでしょう。

 

父も母も意固地な性格で、

いわゆる理解のある親などではありませんでした。

 

しかし、思春期のさなかのある時期、

社会の規範からはずれるくらいの暴走を始めたわが子の前に、

両手をひろげて立ちはだかり

「ここから先に行ってはならぬ」と

大きく厚い「壁」となってくれたのは、

紛れもなく、建築ではなく、

彼らの人としての力であったといえます。

 

私たちは、目や耳だけではなく、

骨や肉、血管など全身をアンテナとして、

家族や他人や折々の場面とのつながりを模索しています。

 

一見、平和に見える光景でも、

穏やかに思える家族の関係でも、その裏側には

過ちももろさも潜んでいるのです。

 

全てのつながりは、

最初からそこにあったのではなく、

血のにじむような努力があって初めて形を為します。

 

個室の集合体と化した

昨今の家やマンションを見ていると、

小さく粗末だったわが家の造りと家族のつながりに、

時には傷だらけになりながら、

実は大人になるために大切なことをいくつも教わった、

そんな気がするのです。

 

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In summary

男に書斎など不要。

子どもは

思春期まで子ども部屋で

勉強などしない。

よって、

部屋は仕切らず、開放しておきましょう。

日本には開閉自在の建具がたくさんあります。