家づくりを経て、子育てが終わった頃、足元に忍び寄る中年期ならではの不安や葛藤=クライシス。それと闘うこともいいのでしょうが、足元に課題解決のヒントがあるかもしれません。
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中年期の葛藤とは
人生80年とすれば、40歳を過ぎたら、そろそろ中年期。
男女ともあぶらののった時期でもあります。
しかし、子どもたちは難しい時期にさしかかり、自分たち親世代は、家庭や職場での責任が一層増す時期。
体調の変化やストレス、あるいは離婚・再婚といった劇的な人生の転換が多いのもこの世代です。
結婚して家庭を持ち、子育てを楽しんでいるうちは夫婦・家族の気持ちが一つとなって、みんなで夢に向かって前へ前へと進んでいきます。
人生の後半、子どもの進学・就職・独立、家の新築・リフォーム、定年などが見えてくると、さまざまな不安や問題が、見たくなくても見え始めるのです。
アメリカの心理学者、ダニエル・レビンソンは、中年の80%が人生の中頃に、自分の人生を問い直さずにいられなくなる危機を迎えると述べ、この危機を「ミッドライフクライシス」と呼びました。
熟年夫婦の大問題
あれほど二人で夢を見て、計画をしたはずの家づくりが終わった途端、離婚したご夫婦がいました。
定年後、夢にまで見た自分の時間ができた途端、ご主人あるいは奥様のどちらかが、心のバランスを崩し、それが尾を引いて、家族関係がぐしゃぐしゃになったという話もよく聞きます。
もっと働いて暮らしを楽にしよう、あんな家を建てたい、こんな家具がほしいと悩んでいるうちはいいのですが、目標が果たされたあと、エアポケットに落ち込むように、さまざまな問題がわき上がってくるのは皮肉なことです。
マイナスの事象をきっかけに、それまでバラバラになった家族が一致団結して、プラスの方向に転換していくこともあります。
でも、降りかかってきた問題を誰かの責任でこうなった、社会のせいでこうなったと騒ぎ立てて解決できる問題は、さほど多くはないようです。
目の前にある問題が果たして、自分に、家族にとって、どんな意味があるのかをいったん掘り下げてみる。
少しだけ角度を変えた試みが中年期のリスクを乗り越えるために、役立つこともあります。
生きてちゃだめ?
何十年も一緒に暮らしてきたはずの配偶者が、こんなことを考えていたなんて全然知らなかった。
両親や義父母の介護を通して、やがて迎える自分の老後をどう生きるかを考えるきっかけになった。
子どもの起こした問題を契機に、夫婦のあり方を見つめ直し、自分自身の生き方を検証する機会になったなど、一つの出来事がきっかけで、思いもよらぬ発見をすることがあります。
自分は部長だ、社長だ、東大卒だ、大きな家を建てた、高価な家具を入れたなどの類が「DO」であるなら、自分や家族の存在、「生きるって何?」という漠然とした不安や人間の存在意義を問い直してみるのが「BE」。
行動や成果=DOではなく、存在=BEそのものから人生を考えてみる、といったらよいでしょうか。
確かに、「BE」の視点でものごとを観てみると、寝たきりで何もできないはずのお年寄りを介護する自分が好きになれたり、泣いているだけの赤ちゃんに癒されたり、当たり前に目の前にいるご主人や奥様がふと愛おしく思えたり、いつの間にか成長した子どもたちが、実はいろんな役割をもって自分のために存在している意味の問いかけが見え始めます。
後退ではない進歩
家など、ただの器、箱に過ぎません。
しかし、そんな器や箱でさえ、掘り下げる意識を持つことで、生命力のようなものを有して大地に根を張り始めます。
家族一人ひとりの記憶に刻まれるその器は、やがて必ず、家を超えて「うち」になります。
その家、その家族固有の時間と意味が、そこに創られていくことを(あくまで感覚的なものではありますが)これまで何度となく、見たり、経験しました。
あるお宅に伺って、「何かが違う」と感じるのは、家のデザインや大きさ、間取りのあれこれではないのです。
実はその家族が長い時間をかけて創造した何かが、ミルフィーユの膜みたいに少しずつ積み重なり、その家、家族ならではの歴史や空気、揺るぎない柱のようなものを形成しているのでしょう。
「ミッドライフ・クライシス」は「人生の棚卸し」をする時期にきたというサインでもあります。
前に進むだけの、これまでとは少し違う汗を流し、私たち自身の存在を掘り下げてみる。
人生の目的は、前方だけにあるわけではなさそうです。
長年、絵本の出版に携わってきた著者が、ターシャ・チューダーをはじめ、国内外の多くの作家や作品から学んだことを、編集者ならではの視線でやさしく綴っています。お父様は彫刻家・船越保武氏。私はこの父娘の作品から「大切なこと」をたくさん学びました。