Where we belong.=【家を知る・家に住む・この家で生きる】

そして、私たちの「居場所」について。

【子育て・子ども部屋】=見えない「壁」の、あっち側、こっち側。

 

 

 

 

 

 

 

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親子の間は「信用」ではなく「信頼」で結ばれます。諍いがあっても、裏切りがあっても、取引はできないのです。「信頼」から考えていくと、親子の絆、子ども部屋の原型までも、うっすらと見えてきます。親にとって大切な「見えない壁」についても考えます。

 

Contents.

 

家のなか全てが子どもの空間

わが家に鍵のあるところは、玄関とトイレ、窓だけです。

寝室はもちろん、子ども部屋にも脱衣場、お風呂、自宅併設の仕事場にも鍵はありません。

 

子どもたちとは、小さな頃から、互いの部屋に入るときにはひと声かけるかノックをする、という約束事を設けてきました。

 

鍵のあるなしでトラブルになったことは、これまでなかったように思います(本人たちは苦痛なこともあったはずです)。

 

子どもたちは中学生まで、自室で勉強することはなく、居間の「そこら」、家中の「どこか」で勉強していました。

 

そこらとかどこかとは、食卓であったり、床であったり、お座をりをしたり、ときには立ったままであったり、寝そべったり、階段に座ったり、縁側に腰掛けるなどの意味です。

 

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部屋=空間で考えなくても、学習のために「コーナー」を設けるだけで、そこが子どもの居場所となる。机一つあれば、学習室が完成。

by Bliss My HouseIdea

 

 

 

 

 

 

 

家族相互でつくる壁について

何かしているなと思ったら、そっとテレビを消します。

親がつくる「壁」です。

 

この壁は開閉自在、見えるようで見えない、見えないようで、ときにレンガや石の壁より頑強な壁です。

 

2階の子ども部屋2室は各6畳前後と広くはないのですが、こんなんだったら、2階を全部開放にし、寝る場所だけとして各3畳前後のスペースを確保する程度でよかった、と反省することがあります。

 

独立後は間仕切りを取り払って使えるようにしておけばと、思うことも多くなりました。

 

そうじゃないと、子ども部屋は彼らの独立後、ただの物置になってしまいます。

遠くない将来、家には必ず、夫婦2人が取り残され、最後は1人でそこで生きるのが宿命です。

 

家は大きく建てるのではなく、暮らしの変化に応じて開けたり閉じたりできる、使いまわしのできるように建てればよかったと、ここでまた、反省です。

 

暮らしの折々で空間の用途を変えていけるプランを可変性プランといいます。

上下関係や信用関係で考えていくと、いつ破たんしてもおかしくないほど脆いのが親子の関係でもあります。

こちらも、いつも可変的です。

 

狭い家でも広い家でも、子ども部屋があろうがなかろうが、子どもを信頼して、家のなかに放してやる。

 

あとは、親が見て見ぬふり、聞いても聞かぬふり、避けたり、透明になったりと、あらゆる方策を練ります。

これが、見えない壁になります。

 

その壁はときに、ここから向こうに行ってはならないという「覚悟の壁」でもあります。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

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家全体を子どもための空間とし、子ども部屋としては寝るだけのスペースと割り切ることで、空間の機能は自在となる。あらかじめ大空間を共有し、思春期になってから、間仕切りを考える。

by Bliss My HouseIdea

 

 

 

 

 

 

 

 

信用だけで生きられるのか?

子育てほど、やっかなものはありません。

お金も時間もかかります。

 

「子どもは3歳までのそのかわいさで、一生分の親孝行を終えてしまう」

といった作家がいましたが、

彼らが3歳になって以降、何度、この言葉をかみしめてきたことでしょう。

 

確かに、子育てを振り返っても、3歳前後まではかわいいと思っていたものが、以降は、心配したり、怒ったり、悲しんだり、どうしてよいかわからず迷ったり、悩んでばかりでした。

 

子ども部屋をつくってもつくらなくても、個室が孤室であろうとなかろうと、居間に階段があってもなくても、家のつくりようなど、子育てにとっては大きな影響はなかったのです。

 

アパート暮らしの家族は子育てに失敗し、大きな家に住む家族の子育てが成功することなどあり得ません。

 

大切なことは「場」としての居場所ではなく、親子の心の在処と信頼関係と思うようになったのは最近のことです。

 

社会のなかで、大人は「信用」だけで何とかやっていけます。

銀行では、個人と個人の信頼関係などなくても、担保や保証人があればお金を貸してくれます。

担保があればニコニコしてくれます。

 

相手が信頼できようとできまいが、友人であってもなくても、ある程度の信用と実績がありさえすれば、ビジネス上の取引は成立するようになっているのです。

 

 

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大人の居室も子どもの空間もインテリアの基礎は、壁のコーディネートから始まる。

by CASA SCHWANCK 

 

 

 

 

 

 

子供との関係は取引ではない

家族の関係、とりわけ、親子の関係はそうはいきません。

 

成績が上がったから信用する。

下がったら信用しない。

いい子だったらかわいい、いうことをきかない子はかわいくない。

 

これは「取引」です。

 

非行に走った子どもに「おまえのような奴は、もう信用できない」と叱ったところで、親子の関係は切れるものではありません。

 

言い換えれば、子どもの起こした行動がどんな結果になろうとも、その子の存在価値を絶対に認める意志がなければ、信頼関係は成立ないのです。

 

信頼というのは、取引が介在してはならないのです。

 

他人様にだまされたり、裏切られたりすると、信用も信頼もなくなります。

でも、親子の関係では、だまされることも、裏切られることも覚悟のうえでの信頼が基本です。

親とはいえ、このことは、会社のストレスよりはるかに大きなものといえます。

 

子どもは、

「親はどこかで、自分のことをわかっていてくれる」

「いつも自分の味方だ」と考えています。

 

しかし、親にとっては、瞬間瞬間、子どもに苛立ったり、許したり、どんな関係になっても、とともに生きることは、生半可なことではありません。

 

子どもにとっての居場所とは、デザインのいい部屋でも広い部屋でも個室でもなく、その信頼関係のなかにしかないようです。

 

 

建築の在り様で、幸福になるとかならないとか、そんなことはありません。

子育てのヒントもそこにあります。

 

いつでも、どこでも空間などに捉われず、彼らの宇宙を信じること。

 

心理学者のアドラーは、こんなふうに述べています。

 

――教育とは「介入」ではなく自立に向けた「援助」。

その自立のために必要なのは子どもへの「尊敬」である。

 

 

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居室で考えるだけではなく、「ゾーン」もしくは「エリア」で考える。by Bliss My HouseIdea

 

まとめ

1.子どもにとっては、食卓、床、階段、家のなか全部が子供部屋空間。子どもが勉強し始めたら、親は黙ってテレビを消すだけ。見ざる・言わざる・聞かざるに努める。

 

2.子どもの独立後の子供部屋は物置化する。独立後に転用できる可変設計にするとあとあと便利。

 

3.子育ては「信用」関係ではなく「信頼」関係。

 

4.日本人はわずか3坪の「間」にも宇宙を感じられるスケール感を備えている。「宇宙の富はこの3坪の庭にさえ、あふれ返っている」感覚はゆたか。

 

5.建築の在り様で幸福になるか否かというベクトルは持たない。

 

6.自立しようとしている子どもを見守るのは、親にとってはもっとも難しい仕事。彼らは必ず、土壇場土壇場で、自分の進むべき道を選んでいる。

 

7.子どもの自立を願うのなら、親が一日でも早く、子どもの代わりに何かを「してあげよう」とするのをやめることです。