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そして、私たちの「居場所」について。

【縦書きと横書き】=日本語の「横書き」は記憶されにくいという説。

漢字もひらがな、カタカナも、もとはといえば縦書きで記されることを前提にデザインされた文字です。しかし、このブログがそうであるように、いまや日本人の誰もが横書きでメッセージを表わす時代。日本語の原点を辿ると…。

 

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横書きを避けてきた理由

この文章は横書きです。

右から左に読むように書いています。

横書きだと、これしか書きようがありません。

 

しかし、仕事では資料集などを除き、横書きの出版物は、ほとんどつくったことがありません。

つくらないようにしてきた、ともいえます。

 

理由は二つあります。

一つ目は、日本語はもともと縦に読むようにデザインされた文字であること。

つまり横書きには、本来適さない文字であるということです。

複数のエディトリアルデザイナーと何度も検討を重ねた末に得た結論でもあります。

 

二つ目は、自分自身が横書きの文章を読むのに疲れること。

このブログも仕方がないから、そうしています。

横書きで1行あたり25字を超えると、日本人は読むのにとても疲れてきます。

DNAが横書きを拒んでいるのです。

日本語の起源がそうだからというわけではなく、自分の感覚に忠実に仕事をしたい。

読むのに疲れる文字組を、わざわざ印刷コストをかけて読み手に渡すわけにはいきません。

 

 

これまで手掛けた本の大半は縦書きですので、ページを右にめくっていくような動作になります。

小説などの新刊、雑誌はいまでもほとんどがこの形式です。

大半の日本人が、このフォーマットになら、違和感を覚えないからです。

 

雑誌の中でも、パソコンやカメラの専門誌は横書きで左に向かってページをめくるものが多くを占めます。

 

図表や写真、数字、記号が多い場合は横書きのほうがレイアウトをしやすく、編集が容易なのです。

編集デザインも、何といっても、横組みは楽です。

論文などはその代表。

 

なかには本文の句読点まで「。」や「、」を使わず、英語のピリオド「.」やコンマ「,」を使うケースもあり、論文などではこのタイプが主流を占めます。

これは編集を仕事にする者にとっては、天地がひっくり返るほど、戸惑ってしまうことでした。

 

私がこの世界に入った頃は12345円という数字も一万二千三百四十五円と表記しました。

横書きですと、算用数字が読みやすいことがわかります。

 

以前、行政の広報誌を担当したとき、私たちは縦書きにこだわり、担当者を説得して発刊以来初となる縦書きの広報誌にしたことがありました。

 

契約の更新時期を経て、業者が変わったときには横書きに戻されましたが、縦書きの広報誌は全国でも珍しく、高い評価を得ていただけに残念です。

 

 

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墨で悪口を書くとヤバイ

古代中国では縦書きしかありませんでした。

まだ紙のない時代、墨で書かれていたのは竹です。

 

その竹を細長く割って作った簡を竹簡(ちくかん)といいます。

竹は空に向かって伸びるのが樹木ですので、それに横書きをするといった発想にはならなかったのでしょう。

 

竹ではなく、木の簡でつくったものが「木簡」。

時折、遺跡から「木簡」が出土しというたニュースを聞くことがありますが、数百年以上も前の文字が紙ではなく、木に書かれていたからこそ、かろうじて残ってきたともいえます。

 

簡をバラバラにならないよう紐で編むことを「書を編む、編集」といいます。

編まれた簡が「一編の書」、編まれた書を巻いたものが「一巻の書」。

本を編集する「編集」という言葉は、この木簡に原点があることがわかります。

 

墨は数百年、千年以上経っても消えませんので、悪口は墨で書くのは避けるべきです。

 

縦書き、横書き、句読点や記号、算用数字などが混在し、出版・編集の現場も揺れています。

 

確かに、熱損失係数の「W/m2・K」などの記号はもともと西洋の文字を使いますので、縦書きにすると違和感があります。

縦組みの場合、こうした記号や単位はそのまま横に倒して表記します。

 

日本語の横書きはいまに始まったものではなく、江戸時代に蘭学の流行などの影響を受け、洋書を真似た横書きがすでに発生していたといわれます。

編集の現場も読み手も混乱したはずですが、その混乱が、いまも続いているのです。

 

 

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段落や数字の表記の仕方

新聞では数字のほとんどを算用数字の表記に変えました。

以前は「一枚」だったのですが、いまでは縦書きにもかかわらず「1枚」と書きます。

じゃあ、「一人」の場合は「1人」かというと難しいところです。

 

「ひとり」と読むのに「1人」ではやはり、違和感を覚えます。

新聞表記の場合、「一人旅」などの慣用句は「一人」を使い、「1人だけが助かる」など数を示す場合は「1人」が使われます(「記者ハンドブック」共同通信社)。

 

出版社では各社で独自のマニュアルをつくって、編集しているのが現状なのです。

 

また、ここに書いている文章には、段落がついていません。

文頭を一文字空けていないのです。

このことにも実は抵抗がありますが、横書きの場合、段落をつけてしまうと、逆に読みにくくなるので、しょうがありません。

 

では、取材のときのメモはと問われると、ノートは縦書き。

素早く言葉を書き留めるには、縦書きは適しません。

 

日本語はもともと、ゆっくりと丁寧に書かれることを前提にデザインされたと推測できます。

 

この世界に入って学んだことの多くが無意味に近くなっていて、ときどき、文字を創造し、伝えてきた先人たちに申し訳ない気持になります。

 

 

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日本語に横書きは不向き

お隣りの韓国や中国でも、縦書きから横書きへの移行が進んでいます。

東南アジア諸国も同様ですが、いずれも、英語などと同じく、左から右の横書きが主流です。

 

それに伴い、各国でも新聞や出版の世界が大混乱していることは想像に難くありません。

アラビア語、ヘブライ語などは右から左へと文字が綴られる右横書きなのは、おもしろいところです。

 

いまやパソコンもスマホもカタログも、いろんな分野で横書きが主流になりつつあります。

これは欧米化とか、伝統の消失といった問題とは少し性格が異なります。

 

推論ではありますが、横書きの日本語は縦書きに比べて、記憶されにくのではないかと思うことがあります。

 

横書きは、伝達に特化された手段であり、私たち日本人のDNAは、横書きの文章を読んでもアタマのなかでいったん縦書きに編集し、変換して読んでいるのではないでしょうか。

 

そんな気がしてならないのです。

 

 

 

「一目置かれる大和言葉の言いまわし」 (山岸弘子 宝島SUGOI文庫)  「頭を抱えております」「お手すきのときにお電話いただけますか」「お返事を心待ちにしております」。少しの配慮で、言葉は奥ゆかしくも、あたたかくもなります。先人たちが残してくれた言葉の響きを、もっと日常で使いこなせたら。「ヤバイ」なんて言葉、使ってはいけません。そばにおいておくと便利な1冊。