Where we belong.=【家を知る・家に住む・この家で生きる】

そして、私たちの「居場所」について。

「用いてはならない」けれど、覚えておいて損はない【尺貫法】や杓子定規の話。

 

 

 

 

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考え方にも物差しがあるように、人の視野、ものごとの捉え方にも、その人ならではの定規があります。人間関係には、少々やっかいな杓子定規でも、家づくりには欠かせません。日本の寸法、モジュールについての短いお話。

 

いまも建築界の常識「尺貫法」

長い間、日本の建築で使われてきた

「曲尺(かねじゃく)」は

中国が起源とされ、

さしがね、まがりしゃくなどとも呼ばれます。

 

仏教伝来と共に

寺院建築のために、朝鮮半島から

渡来した工人たちが

物差しとして持ち込んだのが起源とされます。

 

奈良時代(710~794)には

曲尺の文字がすでにあり、

平安時代の899年に書かれた「新撰字鏡」では、

まがりかねと読んでいます。

 

曲尺の単位は「尺(しゃく)」「寸(すん)」「間(けん)」。

1尺は10寸で約30.303センチ、

1間は6尺で181.818センチで

最小単位は1分(ぶ)で3ミリです。

一寸法師は、こんなに小さかったのだと

改めて感動してしまいます。

 

メートル法が公認されたのは、明治24年(1891)。

昭和41年(1966)には尺貫法を取引および

証明の計量に用いることが禁止され

以来、尺や寸などは

「用いてはならない」と規定されています。

 

しかし、五寸釘(ごすんくぎ)、

一尺(いっしゃく)ものや4寸(よんすん)の柱、

1間(けん)の幅の窓など、

建築の世界では

いまも日常的に使われるスケールです。

 

質量には貫(かん)、

体積には升(しょう)を用いるのもご存じのとおり。

いまでも1.8リットルというより

一升瓶といったほうが直感的にわかる人のほうが

きっと多いはずです。

 

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直感的に広さをイメージできる「畳」

建築の世界にはモジュールといって

部材や空間の大きさを

決める基本となる寸法単位があります。

 

日本では中世から

とても便利なモジュールがあって

住宅の場合は910mmが最も多く、

尺貫法で換算すると、「3尺」となります。

 

「畳」による規格化なども代表的な例です。

地方によって多少の違いはありますが

「京間」と呼ばれる関西畳は

長さ6尺3寸(約190センチ)、

幅3尺1寸5分(約95センチ)。

ちょうど人間一人が横になれる程度の大きさです。

 

4畳半・6畳・8畳…といって、

この数字だけで

おおよその広さをイメージできるモジュールは

世界にも例がありません。

いまでも、私たちはアパート探しなどの際にも

当たり前のように使っています。

 

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「坪」というだけで広さがわかる

ちなみに、この「畳」から柱と柱の間隔が決まり、

襖・障子類の大きさも

一定となったいきさつもあって

畳2枚分が、

敷地の広さや建物の広さを表す「1坪」。

この1坪を正方形にすると

一辺1.81メートルで約3.3平方メートル。

 

誰でもわかっているはずの「坪」ですが、

実はこれも

不動産の広告や登記では

使ってはならないことになっていて

面積は「㎡」=平方メートルを

単位として表示することになっています。

 

私たちは取材のたびに

お相手から「居間は12坪」などとメモをしてきますが

活字にするときには

その都度、3.3を掛けて

39.6g㎡などと書き換えますので、面倒です。

 

この正方形の一辺が1間(181.8センチ)、

その半分が半間(はんげん)(90.9センチ)で

その半間を3で割ったものが、

1尺になるのですが、

本当は自分も

しっかり覚えているわけではありません。

 

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人間関係ではやっかいな杓子定規

「規矩準縄」(きくじゅんじょう)という言葉があります。

「規」は円を描く定規(コンパス)、

「矩」は直角を描く「さしがね」、

「準」は水平をとるための「みずもり」、

「縄」は垂直を意味する「すみなわ」を表わします。

 

中国の孟子の言葉ですが、

家づくりの基本となる言葉でもあり、

物事や行動の基準、

手本、規則などの意味でも使われます。

 

10の用途があるといわれる曲尺ですが、

直角や寸法をはかったり

線を引く際の定規になったり、

勾配を計ることもできます。

 

ちなみに「杓子定規な考え方」とは

一つの標準や規則だけに

当てはめるなど

融通のきかない考え方や態度のこと。

 

古くは杓子の柄は曲がっており、

定規にならないのを

定規の代用とするということに

由来した言葉ですが

「杓子定規なお役所仕事」などと使われます。

 

確かに、相手から正論を吐かれると

困ってしまいますが

かといって、徹底的に論争することが

正しいことでもありません。

人と人との関係では

定規はかえってやっかいみたいです。

 

何かの本に書いてあったことを

メモしたものが手元にあります。

 

正論とは、道理は通っているが

人間に届いていないせっかちさ。

道理は通っていないが、

人間に届いているゆるやかさ、

それを愛といいます――

 

と書いてあるのですが

この言葉も

神々しくて、少し緊張してしまいます。

 

 

 

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おすすめの本
 

 

 

 

自分は信仰に熱心な人間ではありませんが、三浦綾子さんの本は何冊も本棚にあって、再読を繰り返してきました。敬虔なクリスチャンである前に、病を受け入れたひとりの人としての魂の叫びが、行間から立ち上ってきます。と同時に、北海道、とりわけ彼女の故郷でもある旭川の澄み渡った空気、清潔な寒さが、ページ全体から凛として匂い立ってくるのを感じるのです。活字を追うたびに、自分は「愛」という言葉を、こんなに自在に駆使できる日が来るのかしら、と思ってしまいます。

 

 

 

 

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