Where we belong.=【家を知る・家に住む・この家で生きる】

そして、私たちの「居場所」について。

【ガラクタとのつきあい方】=一度に処理するはひとつ、礼をもって捨てるべし。

 

 

 

 

 

 

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収める、整理する、片付ける。わかってはいますが、それができないモノとのつきあい。捨ててしまえば済むのでしょうが、それができないのです。捨てられない、片付けられない気持ちの心理、ガラクタと化していくモノたちが人生に与える影響。

 

Contents

 

10年間ふれたことのないモノ

休日、家のなかの整理をすることが多くなりました。

自営業です。

会社員のように、いつも毎週末に休みをとれるかといえばそうではなく、週末の大半は出張。

 

家にいるときくらい、外には出たくないという気持ちになります。

そして、どうせ家にいるのだったら、片付けでもしようか、という流れです。

 

以前は掃除や整理など後回しばかりでしたが、いまはチマチマと、衣装箪笥のなか、事務所の本棚の整理、デスク周りや引き出しのなかなどを片付けるのが、楽しみになってきました。

 

自宅と自宅併設の事務所を合わせて37坪ほどしかない空間に、これでもか、というほどにモノがあふれていることに気付きます。

 

1カ所の収納を開けて、ここ数年、一度も手をふれたことがないものの割合が9割近くになることに驚くこともあります。

 

今日は、居間の茶箪笥の整理。

 

引き出しは5つ。

一つ開けてみるだけで、モノがいっぱい出てきます。

ときどき整理はしいますが、どこかから、湧き出してくる感じです。

  

昔の画鋲や期限切れの家電の保証書、使えそうもない乾電池や電球、カメラ店でもらったオマケの薄いアルバムなどなど。

 

画鋲は同じ種類ではなく、いろんな種類。

乾電池も単1あり、単3あり、単4あり、ばらばら。

アルバムも、A5サイズ、縦長のもの、いろいろ。おまけでもらった、安っぽいものばかり。

 

揃っていないと、なぜか、片付ける意欲が削がれます。

 

この1年で使った形跡のあるものはほぼ皆無。

あとの90%は、10年以上も前からそこで眠っているものでした。

 

この3年、使用したことのないものを条件に、全部、捨てることにしました。

片づけを進め、開いた引き出しに、ほかで整理したものを詰め込むと、二つの引き出しが空になりました。

 

 

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兼好という名のミニマリスト

きっかけの一つが、2年ほど前から読んでいる『徒然草』(元徳2 (1330) ~元弘1 (31) 年成立)です。

 

いまから700年ほど前の鎌倉時代に吉田兼好が書いた随筆で、清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と合わせて日本三大随筆の一つといわれているのは、ご承知の通り。

 

第72段に、こんな文章があります。

有名なフレーズですので、知っている方も多いことでしょう。

 

賤(いや)しげなる物、居たるあたりに調度(てうど)の多き。

硯(すずり)に筆の多き。

持仏堂(ぢぶつどう)に仏(ほとけ)の多き。

前栽(せんざい)に石(いし)・草木(くさき)の多き。

家の内(うち)に子孫(こうまご)の多き。

人にあひて詞(ことば)の多き。

願文(ぐわんもん)に作善(さぜん)多く書き載せたる。

多くて見苦しからぬは、文車(ふぐるま)の文(ふみ)。

塵塚(ちりづか)の塵。

 

現代語に訳すると――

いかにも下品に見えるもの。

座っている周囲に、道具類が置かれているさま。硯に筆が多くあるさま。

持仏堂に仏像が多いさま。

庭に石や草木が多いさま。

家の中に子や孫が多いさま。

人に対して口数の多いさま。

願文の自分の善行をたくさん書き連ねてあるさま。

多くても見苦しくないのは、文車に載せてある書物と、ゴミ捨て場のゴミ。

 

といったところです。

いまと比べて、家の大きさは数分の一、生活用なども圧倒的に少ない時代に、モノの多い暮らしを戒め、口数の多いこと、信仰心もないくせに、願いことばかりすることをアホじゃないかと論じているのです。

 

「文車の文」と「塵塚の塵」は例外としていますが、あの時代のゴミ捨て場は、いまのように、使えるようなゴミが山のように捨てられていたとは考えにくく、本当に不要なモノだけがあったはず。

 

本のあるさまを例外としているのは、やはり本は知性の象徴だったことを裏付けています。

 

この書物は、整理整頓のノウハウを語ったのではなく、生活者としての嗜み、人としての生き方を述べたものともいえます。

 

700年も先を見通す鋭い視点でもさることながら、兼好という人は、かなりの偏屈者であったかもしれません。

 

 

 

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 「古典の文言(もんごん)なのか、わが言葉なのか、区別がつかないくらいになり、わが生を導く」ようになった『徒然草』からの原文を、中野孝次が選び抜いて“わが徒然草”を作りあげた。総ルビつきの原文と現代語訳、そして思いを込めた解説。南北朝の乱世を生きた兼好の永遠の古典が、時代を超え「今に生きる言葉」として蘇る。

 

 

 

 

 

 

 

 

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ペン立てからペンを選べない

鎌倉時代の家のように、ほとんど何もないような状態にまで整理整頓ができる自信がありません。

 

ミニマリストと呼ばれる人たちの本も数冊読みましたが、到底真似のできるレベルではないことがわかっただけでした。

 

片づけても片づけも、箪笥のなかには、いつか着られるだろうと、淡い期待を込めた、サイズの合わなくなった洋服や下着の束。

 

食器棚には、この数年、ただの一度も使ったことのない食器がどっさり。

使わない食器の方が高価だったりします。

 

キッチンのシンクの下の収納などは恐ろしくて、全容を把握する気にすらなれません。

挑戦したとしても、配偶者と責任のなすり合いが起きるのが目に見えます。

 

細かなところでは、事務所のペン立て。

目を閉じて、試しに1本のボールペンかマジックインキを取り出す。

たいてい、インク切れかインクが乾ききったペンをつかんでしまいます。

 

何年も触れていないHBの鉛筆も数本。

いまは2Bしか使いませんので、捨ててもいいのです。

でも、捨てられずに、ずっと目をそらしてきたのです。

 

 

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すべてのモノに進路をつける

生活整理コンサルタントのミシェル・パソフさんの著書に『生活整理9の鉄則~困ったガラクタとのつきあい方』(河出書房新社)があります。

大まかに内容をまとめると、

 

その1 一度に処理するはひとつとすべし

その2 すべてのモノに進路をつけ、しかるべきルートにのせよ

その3 リバウンドさせるなかれ

その4 関連収納-似たものエネルギーは寄せて集める

その5 作業の途中で休憩を

その6 なにモノも一度はひっくり返せ

その7 礼をもって捨てるべし

その8 埋まらぬ空きスペースというものはない

その9 ワンステップ踏むごとに自分をほめる

 

――というものですが、この人の主張も整理整頓そのものが目的ではなく、モノとの関係を見直すことで「あなたの人生が変わる」と受け取ることができます。

 

安心するのは、そんなに一生懸命じゃなくていいよ、まあボチボチと、といった思いやりが感じられること。

 

一度に処理するのはひとつとすべし、作業の途中で休憩を、などは気長にやりましょうといったやさしさでしょう

 

兼好と同様に、そのモノが、自分の人生の質を高める存在であるかどうかを、いったん立ち止まり、考え直してみませんかという、人生指南としても読むこともできそうです。

 

新築やリフォームなどは、これまでつきあってきたモノを整理し、処することで、生活をリセットできるチャンスです。

 

その際、注意すること。

整理も片づけもしないまま、現状のモノを全部収納するスペースを確保しようとしないこと。

使わなくても生活してこられたモノたちです。

それらをまた収納するために、多額の建築コストをかけるのは、もったいないです。

 

もう一つ忘れてはならないのは「礼をもって捨てるべし」。

 

どんなに安っぽいガラクタでも、いっとき、暮らしを支えてくれたモノであることは確かです。

 

捨てるときには、小さな声で「ありがとうね」の一言を添えたいものです。

 

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まとめ
 

 

 ミシェル・パソフ著

『困ったガラクタとのつきあい方』(河出書房新社)

 

補遺●

捨てるときには、
モノに向かって小さな声で「ありがとう」。