Where we belong.=【家を知る・家に住む・この家で生きる】

そして、私たちの「居場所」について。

【食卓の美学】=日本人の所作と日本の家との関係性。

 

 

  

 

 

 

 

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子どもの頃から、箸の使い方には、とりわけきびしく躾けられてきました。裕福な家ではなかったからこそ、食卓での作法くらいは、という父の考えだったのかもしれません。同じ箸を使う文化でも、お隣の韓国とでは少しマナーが異なります。単純な「違い」のなかに、関係を深めるヒントが隠されているかもしれません。些細な所作のなかにも、文化の源流を見ることができそうです。

 

Contents.

 

箸の不作法を知ること

どんなに質素な食事でも、

「箸はきちんと使いなさい」が

父の口癖でした。

ただでさえ、豪華な料理などではないのに

箸の使い方が悪いと

食事がいっそう貧しく見える

というのが理由だったようです。

 

日本人なら、

おおよそ誰もがそんな躾をされて

育ってきたはずです。

 

箸の使い方にも作法・無作法があり、

それにちゃんと名前があるのも

礼儀を重んじてきた日本人らしいところ。

 

「指し箸」は、文字通り、箸で人を指すこと。

箸を手にしたまま相手を指して

「そうそう、そうなんだよね」

と話をしている人は珍しくありません。

 

「迷い箸」は、

さて、どれを食べようかなと

箸をあちこち移動させること。

先にその人の唾液がついているかと思うと、

確かに

あまりいい気分ではありません。

 

「移り箸」は、いったん箸をつけた

料理を食べずに、

ほかの料理へ箸を移すこと。

はっきりしてよ、といいたくなります。

 

 

 

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父が嫌った「寄せ箸」

「寄せ箸」は父がいちばん嫌った動作。

お椀やお皿を箸で引っかけて

自分の方に引き寄せる無作法です。

 

そんな父も、

母と大喧嘩したあとの食事では

わざと「寄せ箸」をすることがありました。

「オレは機嫌が悪いんだ」

「怒っているんだ」という

強い意思表明だったのだと思います。

 

料理を箸から箸へと渡す「拾い箸」も

きつく叱られました。

妹とよくそれをやっていたのです。

生まれて初めて火葬場に行ったときに

叱られた意味がよく分かりました。

 

箸先を口の中に入れて

ペロペロなめる「ねぶり箸」も

カッコのいいものではありません。

 

汁をたらしながら料理を運ぶ「涙箸」は

無作法という以前に

テーブルが汚れてしまいます。

 

 

 

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元は床を汚さない手段

日本ではなぜ、箸の使い方が

そんなにも

重要視されてきたのでしょうか。

 

諸説ありますが

もともとは、日本の食事は畳(板間)の上に

置かれたお膳に器が並べたもので

きちんとした

箸の使い方ができないと

食べられなかったからではないかという説に

納得します。

 

場面を想像します。

料理があるのは正座した膝の前。

そこから箸でつまんだ

料理を落とさず口まで運ぶには、

それなりのマニュアルも

高度なテクニックも必要だったことが

容易に想像できます。

 

時代が変わって、食事のスタイルが

ちゃぶ台やテーブルでの食事と変遷し

小さな器に大きな器、

はたまた小鉢やどんぶりが加わり、

器と口元との距離も縮まりますと、

当然、箸の作法にも歪みが生じてきます。

 

とはいえ、無作法は無作法。

見た目にも

カッコのいいものではないので

父のことを思い出すたびに、

箸の使い方には気をつけています。

 

 

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韓国で教えられた礼節

お隣の韓国では

箸も使いますが、常時スプーンも使います。

箸はおかずを食べるときに使い、

ご飯と汁物はスプーン。

 

日本のように、

器は手に持たないのがマナーです。

 

この食べ方に慣れてしまうと

日本人の、

器を持ち上げ、箸で口に掻き込む食べ方が

行儀悪く見えることがあります。

 

地方の家庭ではまだ座卓も多く、

食事のときは

男性があぐら、女性は立て膝が正式な座り方。

日本では

褒められた格好ではありませんが

韓国の女性の立て膝は、

とても優雅で、きれいに見えます。

 

儒教の教えがいまも色濃く残る国です。

年長者を敬う姿勢が

どんな場面でも徹底され、

年上の人が食べ始めたのを確認してから、

若い世代が食べ始めます。

 

このことはバスや電車などの

乗り物などでも感じることです。

 

高齢の人に積極的に席を譲るのはもちろん、

満員のバスなどでは

仮に同世代でも椅子に掛けている人が、

立っている人の荷物を

さりげなく受け取り、自分の膝に置いて、

降りるまで持っていてあげる、

そんな光景を頻繁に目にします。

 

 

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By Pixtabay.

 

 

 

 

 

 

 

単純さの中に潜む美学

食卓でも、乗り物でも

作法や思いやりが行き届いている光景は

見ているだけで、

気持ちがやさしくなるのが分かります。

 

日本と韓国。

お隣同士でも、箸も器も使い方が異なります。

乗り物の中の光景も、

似て非なるものかもしれません。

 

2国間の関係の複雑さにばかり目を奪われ、

互いの文化が持つ美しさに

互いが目を背けてばかりいる気がしてなりません。

 

小さな所作の中にある美しさを

認め合うという

単純な行為が

国際関係を洞察する手段となることもあります。

 

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粗食と素食。同じ「そしょく」ですが、前者は「質素で粗末な食事」、後者は「野菜を中心とした食事」の意味で使われることが多いようです。マクロビオティックはまさに「素食」そのもの。玄米食を長く続けていましたが、ある時期からアワ、ヒエ、キビなどの雑穀の美味しさに気づきました。精米機を購入し、半つき米や7分づき、胚芽米など、米そのものも、いろんな触感と風味を楽しみ、その折々の気分で雑穀をブレンドします。白米もおいしいですが、穀物という味とは少し違う気がします。健康のために食べるのではありません。おいしいから、いただいています。