Where we belong.=【家を知る・家に住む・この家で生きる】

そして、私たちの「居場所」について。

ユニバーサルデザインの7原則。

  

 

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誰にでも使いやすい「仕掛け」があるかどうか

近代建築の巨匠ともいわれるル・コルビュジエの言葉に、「住宅は住むための機械である」という言葉があります。

 

住宅を機械だらけにするという意味ではなく、人がそこに住みながら、その都度その年輪にふさわしい装置を内蔵しているかどうか──という意味ではないでしょうか。

 

ふつうの人が生活する際、十分なさりげなさで、高齢になっても、障害者になっても大丈夫な「仕掛け」が内蔵されているかどうかを問いかけた言葉といってもいいでしょう。

 

とはいえ、便利さの裏側には、別の問題が隠されていることも少なくありません。

例えば、車椅子を利用する人にとって玄関スロープは便利な配慮ですが、肝心のスロープが冬場に凍り付いたり、夏場でも床面が滑りやすかったりすると、一転して危険なものになってしまいます。

 

車椅子には便利でも、松葉杖の使用者にとっては、階段より利用しづらい場合もあります。これは私自身、松葉杖を使ったとき病院の玄関先のスロープで転んでしまい、自ら体験したことです。

 

 

寝たきりに近い状態になった高齢の親のためにと、リフトで上げたり下げたりする装置を設置したお宅がありました。

寝たきりといっても、ベッドの脇にポータブルトイレを置いておけば用が足せる程度なのに、リフトを使い、本人を完全に近い受け身の状態にすることで、残存する可能性を切り捨ててしまい、その結果、生きる意欲まで削ぎ落としてしまうこともあるのです。

 

その方は、ますます寝たきりの時間が多くなったとあとで聞きました。これでは寝たきりではなく「寝かせきり」です。

ちなみに、「寝たきり」に相当する外国語はありません。

 

第三者が当事者を「寝かせきり」にしない限り「寝たきり」にはならない、というのが諸外国の論理なのです。

 

介助する側に便利であることと、介助される本人が、生きていく希望を捨てずに生活していくことに便利であることとは、必ずしも一致しないともいえます。

 

障害=バリアを除去するのではなく、最初から誰にでも使いやすいデザインを考える

「ユニバーサルデザイン」の概念を振り返ります。

 

ウィスコンシン大学が公表しているユニバーサルデザインの概念は「特別な改造やデザインをすることなしに、可能な限り全ての人々にとって、使うことが可能な製品・環境のデザイン」をいいます。

 

 

具体的には――

 

1.誰にも公平に使えること使えること

2.使用における自在性・自由性

3.単純で直感的に使えること

4.わかりやすい情報

5.誤動作があっても危険につながらない

6.身体的負担を軽減

7.スペースの確保…

など、7つの条件を提示しています。

 

身近なところでは、音で知らせる信号機や乗降口に段差のないノンステップバス、記号などを使った案内板、片手で開け閉めができる歯磨き粉の容器などがあります。

 

ライターも立派なユニバーサルデザインです。

片手でも使用でき、直感的に使えますし、説明書なしでもわかりやすい。火は扱うものの、火傷にならない程度の炎ですし、身体に負担もかからない。

狭い場所でも利用できると見事に7つの条件をクリアしているのです。

もともとがクリミア戦争のとき、片腕を失った兵士によって考えられたという説もありますが、極限の身体状態で生み出された機能に感動すら覚えます。

 

世代、性別、障害の有無やレベルなどに関わらず、全ての人に…というと壮大な感じを受けますが、意外と身近にヒントが隠されていることがわかります。

 

 

 

 

 

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廊下幅、居室、トイレや洗面、浴室など全てに共通していえるのは、段差や手すりの設置ではなく「狭さ」の解消。ある程度の広さを確保することで健常者にも快適で、障害の度合いに応じてさまざまな対処ができる。


 

追加費用よりも「ちょっとした」発想の転換

将来どんな状態になるかわからないのに、最初から「ユニバーサルデザインなんて」と考える人も多いことと思います。

 

車椅子を使うことになるのか、完全介護を受けるのか、それともある程度自活できる状態でいられるのか。

 

いろいろと考えていくと、やはり最大公約数の住宅を建てておく。あらかじめバリアを除去しておく。

この「ちょっとした」配慮だけでも、万一の際、身体や気持ちの衰えにも寄り添ってくれる住宅に近付けることができるのです。

この「ちょっとした」ことは、大幅な追加費用というよりは、予算内での振り分けの発想をちょっと転換する程度といってもいいでしょう。

 

 

障害を持ってから、あるいは高齢になって衰えてからの改修はコストがかかる上に、理想通りの改修はできません。構造の問題がついてまわります。

あらかじめ、隠し味程度でも、これらの発想や視点をしのばせておくだけで、投資以上のメリットを受けることができるのです。

 

最初からとりとめもなく住宅を大きくしておこうと提案しているのではありません。4畳半は6畳ではベッドを設置し、そこで介護は難しい広さですので(このサイズについてのバリアについても機会を改めて解説します)、最低限、ベッドを置き、その周りに3人が立って介助できる空間をとるようにしたいところ。

 

だとすると、6畳プラス1辺に45センチほど伸長するだけで可能になります。8畳あれば余裕ですが、都市部の場合は、0.5畳でも節約する工夫を怠れません。

 

車椅子生活で、完全介護を受けなければならない状態を想定すれば、通路幅やトイレスペースは幅120~140センチは必要です。

手すりはあとからつけられても、幅を調整するリフォームは難しいのです。

 

住宅には不可変部分と可変部分があり、後になって変えられない部分は計画段階からユニバーサルデザインを意識し、可変部分はそれが必要になったときにリフォームを考える発想でもいいと思います。

 

 

日本の住宅が抱えるバリアフリー化の問題が「狭さ」を解消することで、大部分が解消することは以前も述べました。

ならば、リフォームで誘導するよりも新築時に対処しておくことの方が効果は大きく、資源の無駄づかいを防ぐだけでなく、コストの軽減を図ることもできます。

 

ユニバーサルデザインを少しでも体現することで高齢者の自活を可能にし、在宅介護がスムースになることで高齢者施設などへの依存を抑え、本人や家族にかかる介護費用、時間、体力などの負担を減少させることも可能になります。

 

行政をはじめ、住宅建築に携わる人たちは、これらのことを理解し、現代の日本人の生活に見合う家づくりを考え、産業界全体を動かすシステムを作ってほしいというのが私の願いです。

 

※参照 「家の教室」03 リヴァープレス社刊

  

 

www.ienotomo.com

 

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まとめ

 1.誰かにとっては便利だが、誰かにとって不便では「ユニバーサルデザイン」とはいえない。

 

2.意外に見落とされがちな「スペース=狭さ」というバリア。

 

3.「ユニバーサルデザイン」の全てに追加費用がかかるわけではなく、発想の転換だけでかなりの事前対応ができ、有効な投資にもなる。

 

4. 住宅には不可変部分と可変部分があり、後になって変えられない部分だけは計画段階からユニバーサルデザインを意識する。

  

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