私たちは、この世界を身体や心で瞬時に感じられる感覚を得て生まれてきました。代表的なものが、いわゆる五感と呼ばれる感覚です。しかし、同じものを見たり聞いたりしても、捉え方は人によってさまざま。目の前にあるものを、どう捉え、何をイメージするかによって、その人の本質が顕れることもあります。
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日本人ならでの空間感覚
眼を閉じることはすぐにでできますが、人前で両方の耳を塞ぐことはなかなかできません。
五感とは便利なもので、見えていても見えないふりができますし、隣で誰かが話していても、何か考えごとをしていれば、まったく聞こえないこともあります。
もちろん、じっと見つめていたからといって、全ての情報を把握できるものでもありません。
日本の伝統家屋では建具も壁も薄く、襖や障子があっても、音は筒抜けのようなものでした。
それでも家族は、都合の悪いことは聞こえなかったことにする、都合のよくないものを見たときには見なかったことにして、家族のコミュニケーションを保ってきたのです。
こうしたコミュニケーションの文化は、社会のなかでも生きています。
以前、ここに「結界」について書きましたが、暖簾が掛っているだけでも、私たち日本人は、布の向こうに別の世界を瞬時につくり出します。
薄い紙や布一枚でも、あちらとこちらの空間を分けて捉える空間感覚は、日本人の特徴的な感覚といえましょう。
公共空間でも、家族の住空間でも、そこに壁があろうがなかろうが、互いの距離感を安全に保てることは、高い公共性を身に付けていることも意味します。
メッセージとしての「音」
同じ音でも、それを雑音や騒音として受け取るか、そこから発せられる「メッセージ」として捉えるかは、それを聞く人が決めることです。
自分はモーツァルトが好きでも、クラシックに興味のない人にとっては、ただの雑音に過ぎないのと同じでしょう。
私たちは「見えている」「聞こえている」ではなく、常に自分の意志で「見ている」「聞いている」のです。
その意味では、五感を働かせることは、きわめて積極的・能動的な行為。
ときには自らスイッチをONにして、すべての「メッセージ」を受信するアンテナになるように努めています。
ミッションの語源は、ラテン語で「送る」などを意味する mittere。
メッセージ(message)も同じ語源とされる。