Where we belong.=【家を知る・家に住む・この家で生きる】

そして、私たちの「居場所」について。

犬とおじいさんのエコロジー。

 
 

 

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リサイクルは突き詰めない

外で飲むときには、ビール、そのあと焼酎のお湯割り。家では食事と一緒にワインか日本酒(純米酒)をグラスに1杯ほど。

ワインや純米酒というとカッコいいのですが、紙パックか2リットル瓶の大きなものを買い置きしています。1000円前後の高くない、やつです。

 

お茶は、番茶か深煎り茶。コーヒーは一日2杯。

コーヒーは、量が飲めないだけに美味しさはこだわり、専門店から豆を買って、業務用のミルで挽き、ドリップで煎れます。面倒なときはインスタントで済ませます。ビンは何年も同じものを使っていて、粉だけを入れ替えます。

 

缶コーヒーやペットボトルのお茶を飲むのは年に2、3回。

ほとんどが、クルマで長距離を移動する際、どうしても喉が乾いたときに買う程度。一度買った容器はとっておき、次の運転の際などに使います。

 

 

 

環境への配慮とか、健康にどうのこうのとか、難しいことを考えると、美味しくありません。

何より、気持ちが寂しくなりますので、いつでも明るい気持ちでいただきます。誰かからいただくものは、何でもありがとう、と頂戴します。

 

カバンやバッグに入れた中途半端な温度のペットボトルを出して飲むくらいなら、喉が渇いても少しだけ我慢して、コーヒーショップやファストフードのお店で、100円ちょっとの飲み物を飲んだほうがましです。

マイボトルを持参するのも(重たいけど)いいでしょう。近頃、どんなのがいいかなと迷っていますが、きっと値段で選びます。

 

リサイクルのことをあれこれ突き詰めると、重い気持ちになってしまいます。

だったら、消費を減らしますので、そんなところでゴメンなさい、という消極的消費者なのです。  ミニマリストには、100年経ってもなれそうにありません。

 

 

 

 

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おいしくなあれ、の魔法

町内会の資源ゴミの回収時、缶やペットボトルのあまりの量に驚きます。駅やコンビニのゴミ箱も、あっという間に満杯。すごい人数の人がすごい量のゴミを捨て、すごいゴミの量がどこかに運ばれています。

 

リサイクル率が高かろうが低かろうが、そんなことわかりません。

それを作って、運んで、飲み終ったあとはゴミ箱につっこんで、そのゴミを人件費を要する誰かが片づけて、どこか近くないところにトラックで運んで、頭のいい人たちが開発した高い機械でリサイクルし、世界に誇る技術レベルの工場で再製品化したって、どーするの、と思ってしまいます。

 

缶ビールより瓶ビールのほうが美味しいのは、みんな知っています。

ワインの紙パックなのは、恥かしいのですが、お金持ちじゃないので仕方がありません。知人のイタリア人は、おいしくないので、絶対に紙パックのワインなど飲まないといいます。ビンのワインだけですが、そのビンは必ず、リサイクルするのだそうです。

 

 

私の場合は、安さが優先なので、紙の匂いは我慢。ビンのほうがリサイクルしやすく、おいしいのはわかっています。

いつも、なんだか申し訳ない気持ちになりますが、今日はお祝いというときにはビンのビール、ワインです。

 

缶コーヒー。どんな豆を使おうが、どんな焙煎をしようが、知ったことじゃなく、自分で煎れたコーヒーにはかないません。

世界でも有名なバリスタ監修の材料を使っても、そもそも缶の温度は100℃になどできないのです。

熱くないコーヒーは、飲みたくありません。

 

安っぽいお茶だって、丁寧に丁寧にお湯を注ぎ「おいしくなーれ、おいしくなーれ、おいしくなーれ」と3度唱えて煎れれば、びっくりするくらいおいしいお茶となります。

ほんとうです。

 

少しの工夫で、できるだけ資源の無駄もなく、おいしいものはちゃんと身体に取り込むことができます。

 

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誰に褒められもせず

毎夕、町内で犬(雑種)を連れて散歩をしているおじいさんがいます。

おじいさんはいつも片手に大きめのレジ袋を持っています。なかには、ぎっしりと空き缶やペットボトルなどのゴミが詰め込まれています。

 

片道3キロ、往復で6キロにもなる散歩のついでに、毎日、道端に捨てられたゴミを拾って歩いているのです。

ゴミを拾うための散歩ではなく、散歩のついでにゴミを拾っているのです。

おじいさんの顔は、いつも鼻歌を歌っているような、ごきげんな顔に見えます。おじいさんがごきげんだと、犬もごきげんな様子で、スタスタ歩いて、おじいさんを引っ張っていきます。

 

もちろん、仕事ではありません。

学者でもエコロジストでもミニマリストでも市民活動家でも読書家でも技術者でも町内会長さんでもありません。

ご本人がいうので間違いありません。おじいさんは昔、「ただの勤め人」だったのです。

 

 

 

腰をかがめて道端のゴミを拾う間、犬は傍らに座り込んで、じっとおじいさんの仕草を見つめています。

この場面、いい写真、映画にもなりそうだなあと、いつも思って遠くから眺めています。でも、撮りません。

 

おじいさんはゴミをレジ袋に入れると、また犬に引かれて、歩き出します。夏も冬も、毎日です。

 

犬は老いていますが、幸福そうな顔をしています。おじいさんの顔も、いつも、にこやかです。

ハンサムではありませんが、長く続いた雨のあとに、偶然、虹を見つけたときのようないい顔です。

 

おじいさんは、家でどんなお茶を飲んでいるのかしら。

おばあさんは、どんな人だろう。

お子さんたちは、どんな顔をしているのかな。一緒にはいないんだろうな。

おじいさんと犬とすれ違うたびに、いろんなことを考えますが、「こんにちは」と挨拶しかできません。

 

誰に褒められもせず、注目もされず、こんなに目立たない、きれいじゃないことを毎日積み重ねていける人を、心の底から尊敬します。 

 

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