〇日
懇意にしているお店の息子さんが、ある日突然、
原因不明の病に倒れ、昏睡状態に陥ったのは3年前のこと。
月に1、2度伺うのだけど、
その後の状態がどうなったのかご主人に聞くのが怖かった。
「この間、息子と温泉に行ってね」
「息子さん…」
「下の息子です」
迷ったが、思い切って聞いてみた。
「そういえば上の息子さん…」
「お陰さんで、いま専門学校に通ってるよ」
医者からは、植物人間状態になるだろうと宣告されていた。
国内に4人しかいないという難病だった。
家族は絶望の淵を彷徨った。
最後に自分たちにできることを、家族みんなで考えた。
先祖の墓参り。
お墓に行けないときは
それぞれが、朝、昼、晩、何度となく胸の前で手を組み、祈った。
奇跡が起きた。
2月のある日、息子さんは、突然目を開いたのだ。
「諦めなかったこと。願い続けること。祈り続けること。それだけでした」
ふつうの顔で、ふつうの言葉で、
こんなに非凡なことをいえる人が、いる。
〇日
長い手紙を頂戴した。
Bさんという50代の女性である。
内容は手紙というよりは、むしろ物語のような構成。
家づくりまでの軌跡と、建てたあとの感想が詳しく綴られている。
文中に「花いっぱいになあれ」という物語が引用されていた。
小学1年生の国語の教科書に載っているそうだ。
────1年生の子どもたちが、風船に花の種を付けて飛ばします。
山奥まで飛んでいった真っ赤な風船を、キツネの子どもが拾うのです。
赤い風船をお花だと信じて、
風船に付いていたヒマワリの種を埋めます。
風船はしぼんでしまいますが、
そのあとヒマワリが伸び、大きな花を咲かせます。
赤い風船とは似ても似つかない黄いろの花を見て
キツネの子はいうのです。「ぼくが夢に見た花はこれだ」と。
新築前、青写真はあった。
「割と、はっきりと計画していたつもりでした」と振り返る。
しかし、できあがった家は、当初のデザインとは、似ても似つかぬ家。
二人はできあがった家を眺めて、口をそろえる。
「希望だけを述べて、あとは工務店の社長さんに任せました」
その希望とは
「30年後も、私たちとおじぎをし合えるような家、
身体が弱くなっても、私たちを包み込んでくれるような家」。
毎日、現場に顔を出し続けたC社長との厚い信頼関係があった。
30年後のある日、しわしわ、よれよれになったC社長がこの家を訪ね、
この家を眺めて、こう話す光景の実現が夢だった。
「ぼくが夢に見た花はこれだ」
家に託す夢は「それだけで十分だったのです」。
傍らのご主人がそういって微笑んだ。
「そのとき、あなたはまた、カメラを持って来て下さいね」
C社長は翌年、すい臓がんで亡くなった。
入院から21日目だった。
29年後、カメラを持ってうかがえるかな。
そうできるように、胸の前で手を合わせてみる。