Where we belong.=【家を知る・家に住む・この家で生きる】

そして、私たちの「居場所」について。

【生と死】=消えてなくなるものって、みんな懐かしい感じがする。

 

 

 

 

 

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多くの人が最期の時間を「家で過ごしたい」と願います。しかし、日本ではまだ、終の棲家であるはずの家が夏は暑く、冬は寒い、介護には適さない環境であることが少なくありません。建て替えやリフォームのとき、ほんの少しでも「介護」や「看取り」のキーワードをプランに潜ませておければいいのですが「夢のマイホーム」から「死」は遠くに置かれたままなのです。

 

Contents.

 

看取りを視野に入れた家

その家を思い出すときには、いつも雪の匂いが甦ります。

70代後半のおばあちゃん、共に40代の息子さん夫婦と高校生の娘さんが住む家。

 

おばあちゃんが末期のがんで余命2年と告知された翌月、家族4人の「終の棲家(ついのすみか)」として築40余年の家の建て替えを決めました。

 

冬でもパジャマ1枚で過ごせるあたたかさ。

寝室以外は間仕切りのない空間にして浴室、トイレの面積を広くとりました。

 

「看取り」まで視野に入れたというお宅にうかがったのは、おばあちゃんが言葉を発することができなくなった頃。

 

雪の日でした。

 

案内されたのはリビング。

吹き抜け上部から光が降り注ぎ、庭に張り出した小さな縁側の向こうに、空に向かって枝を広げる数本の樹木が見えました。

 

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介護室よりみんなと一緒

おばあちゃんのベッドは、対面キッチンの正面に置かれていました。

新しい家に、介護室はありません。

 

「ここで、みんな一緒」

と奥さまが笑って答えてくれました。

ベッドの傍にいた娘さんが「ねっ」といって、おばあちゃんの手をとりました。

 

在宅医療・看護の体制が整えられましたが、家族はできるだけ、おばあちゃんのベッドに近いソファやテーブルで過ごしました。

 

おばあちゃんの調子がよくない夜は、誰かがソファで寝ました。

おばあちゃんが眠りにつき、一人になりたいときは、それぞれの部屋で自分だけの時間を過ごすのです。

 

 

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家づくりの夢と現実の間

高齢者の約6割は介護が必要になっても自宅での生活を望み、8割が自宅で最期の時間を過ごしたいと希望しています。

しかし、日本ではいまも、自宅で最期の時間を過ごせる人は約1割にすぎません(内閣府調査)。

 

24時間対応してくれるヘルパーや看護師、かかりつけ医など、在宅医療を支える社会的インフラが不足し、家族の負担、介護力も問題となっています。

 

いまも、冬になると室温が外気温と同じになるような家が、多くを占めるのもバリアとなります。

 

温暖地であるはずの関西や九州でも、冬には雪が降るほどの寒さなのです。

が、私たちは寒さや暑さは我慢するものと長い間、思い込んできました。

 

介護保険対象の施設はどこも数百人待ち。

夢にまで見たマイホームは竣工した瞬間から、生き始めると同時に朽ち始めます。

 

音もたてずに家族にそっと忍び寄る老いや死。

 

夢ばかりが先行し、大半の家には介護や看取りのキーワードがなかったことに気づきます。

 

 

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死の気配が消えた町と家

「私は病院で死にたい」

といった個人の意思がまかり通る時代は終わりました。

国の方策はすでに在宅看取りの定着に向かい、大きく舵が切られているのです。

 

街にも家にも、ある種の懐かしさや固有の精気が感じられなくなったのは、そこに「死」の気配が消されてしまったからではないか、と考えることがあります。

 

神や先祖を祀る場所は行き先をなくし、葬式は家ではなく斎場。

床の間や仏壇を備えた和室がない家も増えています。

宗教の問題ではありません。

私たちはあまりに「死」を遠ざけてしまったともいえます。

 

「死」ほど商品化しにくい価値はなく、企業にとっても、こうした風潮が追い風となっているのは皮肉なことです。

 

日本に限らず世界中の家ではかつて、生を超えた時間や死と向き合う場と時間を内包し、家人は常に家の中の「見えないもの」にも価値を置き、畏れを抱いて暮らしてきました。

 

それらを排して自らの生、家族や地域の文化を淡白なものにしてしまっては、文化の損失ともいえます。

「死」と真正面に向き合ってきたからこそ、建築が、音楽が、絵画、文学が生まれてきたのです。

 

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生も死も受け入れた家族

このお宅では、家族全員が間もなく訪れるおばあちゃんの死を受け入れ、看取りの場を設けました。

 

その場は、介護室などではなく、家族が集う「公」の場、リビングだったのです。

そこに家族一人一人がやがて迎える終末の舞台とする、覚悟が見えてきます。

 

窓の向こうに見える樹木までが「そばにいるからね」と囁いているように感じたのは、家族の愛情の投影だったかもしれません。

 

あるいは言葉を発することのできなくなったおばあちゃんの根源から吹き上げる、最期の「生の勢い」のようなものともいえます。

 

誰も要介護になどなりたくないし、死にたくもない。

 

どんな魔法を使ってもくい止めることができないからこそ、生も死もまるごと肯定するほかはないのでしょう。

 

なかなかできることではありません。

 

おばあちゃんが旅立ったのは、

「幾筋もの金の光が、青い闇を解き始めた雪の日の朝」。

 

 春になると溶けてしまう雪のように、

「消えてなくなるものって、どうして懐かしい感じがするのでしょう」

と書かれた手紙が娘さんから届いたのは、翌冬のことでした。

 

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