Where we belong.=【家を知る・家に住む・この家で生きる】

そして、私たちの「居場所」について。

【家づくり】は「修業」。

A社(工務店)でお話をうかがう。
昨年、取材でお会いしたBさんご夫妻と一緒である。
あれから検討を重ね、プランを練り、いまは上棟を終え、着々と工事が進んでいる。

奥様からうかがった話が、印象に残った。
「家づくりって、実は、苦しい作業だったのですね」
というのである。

限られた予算と数えきれないほどの制約のなかで、家族が要望を出し合う。
そこで初めて、ご主人が、2人の子どもが、
こんなことを考えている人間だったんだ、とわかる瞬間がいくつもあった。


時には、考え方の違いで感情的になり、諍いになることさえあったという。
そのときに見せる相手の表情に戸惑い、
逆に、和解に向かっていくときの、これまで見たこともない対応に気づいたりもした。

計画が進むに連れて、A社とのやり取りも、これまでとは変わっていく。
信頼関係を深めれば深めるほど、これまで言いにくかったことも
言わざるを得ない場面が増えていくのだった。


互いに人間。
ときには、感情が高ぶることもある。
プランは幾度も変更され、制約のなかで双方の葛藤が繰り返されていく。
しかし、そうした過程のなかで、家族間や工事関係者たちとの関係性がいったん解体され、新たな関係性が築かれていくことに気づくのだった。
「修業。まさに、修業でした」
と奥さまは振り返る。いまでこそ笑顔だが、当時の家族は全員、鬼の形相だったはずと話す。

一度は解体されたかのように思えた従前の関係性を、
より内的な深いところで転生させていったところに、
Bさん一家と工務店の底力があった。


家というものがたまたまそこに介在しただけで、
この方々は、家族のあり方、生活のありよう、人間としての生き方の再構築を
自らの「修業」として位置づけ、いったんは「解体」させながら
それらを新たに「創造」し、「転生」されたのである。

家が建つということは、家族がそこで、ともに生涯を生き抜こうと
覚悟を決めることでもある。


その覚悟を持てるまでには、相当の揺さぶりがつきまとう。
夢のマイホーム、という言葉があったが
夢を見ながら笑み満々で家を計画し
その家を建てて歓んでいる人はむしろ、そこに「修業」があったかどうかを
見つめ直してみる必要もありそうだ。


その歓びは、家と人、あるいは人と人との
深いところでの関わりを避けた、逃避に過ぎなかったかどうかを、である。