ビデオでもテレビの録画でも、何度も観てきた映画「レ・ミゼラブル」。
リーアム・ニーソン主演の作品がいちばん好きです。
どの作品でも、原作の最終章にある「お前が幸福の中で持っているものを、(お母さんは)不幸の中で持っていた」(佐藤朔訳)の台詞が、いつ出てくるだろうかと思いながら観つづけます。最後までこの言葉は出てはこない作品もあります。
ジャン・バルジャンが死の床で娼婦の母親から引き取って育てた孤児・コゼットに向かい、告白する場面です。
────今こそお前のお母さんの名前を教えるときがきた。ファンチーヌというのだ。ファンチーヌをよく覚えておきなさい。それを口に出すたびひざまずくのだよ。あの人は苦労した。お前をとても愛していた。お前が幸福の中で持っているものを、不幸の中で持っていた。
最後のフレーズの意味が、ずっとわからずにいました。不幸のなかで「も」持っていた…つまり「も」の一文字がそこに入ればわかりやすいのですが、果たしてそんな解釈でいいのか、いまも解せないままです。
柳澤桂子さんの「生きて死ぬ智慧」(小学館)は心訳・般若心経としてベストセラーにもなりましたが、こんな一文があります。
────永遠のいのちに目覚めた人は、苦のなかにいて 苦のままで 幸せに生きることができるのです。
ファンチーヌは、赤貧のなかで娼婦として生きた人でした。しかし、端からは不幸に見える暮らしでも、人として大切なことを見失うことはなかった、という意味なのでしょうか。
国語の試験を解くみたいで、頭のなかがぐるぐる回ります。鑑賞したあとはいつも、寝付けないまま朝になるのです。
解釈が間違っていたらご容赦ください。原作には、こんな素晴らしい言葉もありました。────ダイヤモンドは地下の暗闇の中でしか発見されない。真理は思想の深淵の中にのみ見いだされる。その深淵の中に降り、暗闇の最も暗いところで長い間探ったあとで、彼はついにそうしたダイヤモンドの一つ、そうした真理の一つを発見し、拾い上げたかのように思われた。