Where we belong.=【家を知る・家に住む・この家で生きる】

そして、私たちの「居場所」について。

【子どもと悪】=盗みたかったのは、お父さんやお母さんの愛情だったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

f:id:akadk01:20200504094150j:plain

子どもたちはいつも揺れています、まるで、大人たちの揺れをそのまま受け止めるかのように。そんな子どもたちに「悪」が芽生えたとき、真っ先に見つめなくてはならないのは、私たち大人の内面かもしれません。
 

Contents. 

 

悪意のない盗み

ガムを盗んだことがあります。

小学校2年生の冬休み。

雨の日でした。

 

家の向かいに小さな雑貨屋があって、

前の日に挨拶を交わした店のおばさんの

「明日の朝、新発売のガムを並べるからね」

の一言が頭から離れなかったのです。

 

朝。

店のシャッターが開く音を確認し、

私は父の黒いブカブカの長靴を履き、店をめざしました。

お金のことなど頭になく

大好きなマンガの主人公が包装紙となったガムを

誰より早く見たかったのです。

 

母は狭い和室で洋裁の内職に励んでいました。

外に出ると

大きな長靴に雨水が入り込み、

母が編んでくれた緑の靴下を濡らしました。

 

店先の棚に、

ガムは20個が一つの箱に入れられ並んでいました。

照明が消されたままの店の奥に向かい

「おばさん」

と叫んでみましたが、返事はありません。

 

箱からガムを一つ取り出し、手にとりました。

ミントの香りが鼻腔を突いて

都会の匂いがしました。

 

次の瞬間、私はガムを再び箱に戻すことなく

ズボンのポケットにしまい込み、家に戻ったのです。

私は心のなかで

何度も「大丈夫」と自分に言い聞かせました。

 

 

www.ienotomo.com

 

f:id:akadk01:20200504094230j:plain

 

 

 

 

 

 

無言のやさしさ

それから数分もたたぬうち、

店のおばさんが家にやってきました。

 

玄関先に立ったまま、

おばさんは家の中に向かって

「ガム持ってったでしょう?」

といいました。

 

すぐに母が玄関先に飛んでいき

「おまえ、盗ったのか」

と私に一言いった途端、

頭をゲンコツで一発叩きました。

 

母は平謝りをして代金を払い、

おばさんはそれを受け取り「いいんだ、いいんだ」

といいながら帰っていきました。

 

盗みのことは、その夜に母から父へと知らされました。

父は「そうか」と言ったきり、

私を咎めることはしませんでした。

 

時折、深酒をして荒れる父でしたが、

その夜、

黙り込んだ父は一層怖かったのを覚えています。

 

泊まりの勤務明けだった父は、

夕食を終えて早々に床に入り、私も父の隣に敷かれた

自分の布団へともぐり込みました。

 

ふと父が「こっちに来い」

と声をかけてくれました。

「今日は父さんの布団で寝なさい」

私はおそるおそる布団から這い出し、

父の布団に入っていきました。

 

冷え切った足が父のすね毛にふれました。

父の体温が身体をあたため、

心臓の音がドクドクと聞こえてきました。

 

その夜、妹は母の布団で寝ることになりました。

天井の闇に石炭ストーブの残り火が

オレンジ色の点になって映り込み、

いつまでもチロチロと揺れていました。

 

50代で亡くなった父でしたが、

私も年を重ねるに連れて

あの日私は、

ガムを盗みたかったのではなく、

酒に溺れてばかりいた父の気持ちを

盗みたかったのではないか

という思いが強くなった気がします。

 

 

 

www.ienotomo.com

 

 

f:id:akadk01:20200504094253j:plain

 

 

 

 

 

 

大人が試される

子どもの世界で頻発する「いじめ」「盗み」「うそ」。

 

これらは全て、

私たち大人が成熟した人間として、

親として、

子どもと向き合うための試金石でもあります。

 

困った場面ではその都度、

試されているな、と思わされることがあるはずです。

 

子どもに向き合うと同時に、

自分自身に、問いかけます。

 

そんな半端な気持ちで、周りの人間に、

ましてや子どもに、向き合っていていいのだろうか。

 

対象からではなく、

自分の内奥から聞こえてくる声に耳を澄まし、

正面から向き合うのです。

 

子どもは常に、

私たち大人の目の前に、

仏さまのように立ちすくんでいます。

 

 

 

 

河合隼雄著「子どもと悪」(岩波書店)

「いい子」を育てる教育に熱心な社会では、子どもが創造的であろうとすることさえ悪とされることがある。しかし一方では、理屈ぬきに絶対に許されない悪もある。生きることと、悪の関係を考えるのは容易なことではない。「いじめ」「盗み」「暴力」「うそ」「大人の悪」など、人間であることと深く関わる「悪」を斬新な視点から問い直す。(「BOOK」データベースより)。

 

 

子どもの行動は大人たちの思いを映す鏡。

子どもに向かう目線の半分を自らに向けるとき、

うっすらと見えてくるのは、

長い間、目を背けてきたあのこと、

ということも少なくないようです。

 

大人がはっと気づくと同じ時期に

子どもの行動が劇的に変化することもあります。

 

いちばん目を向けたくない

自分の深いところに、答えがあるかもしれません。

 

表紙がぼろぼろになるまで、何度も読み返した1冊。

何度も読んだからといって、

内容の深いところまで理解できたわけではありませんけれど。

 

 

www.ienotomo.com

 

 

 

f:id:akadk01:20200504094523j:plain

 

In summary

大人が幸福に思うことと

子どもが幸福に思うことは違います。

ときには腹をくくって

(大人の意見は言うことなく)

子どもの声に耳を傾けることも大事です。

聴くことは受動行為ではなく、積極的な能動行為です。

反対に、命がけで

子どもの前に立ち塞がることもあります。

それがほんとうの【壁】です。