いつまでもあると思うな親と金。分かっているつもりです。しかし、親の命にも私たちの人生にも限りがあります。限界から人生を眺めてみると、私たちのいま、明日は、どんなふうに見えてくるのでしょう。
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親の命は永遠ではない事実
テレビのスイッチをつけましたら、「親孝行」について、いろんな人がお話をしていました。
親子双方にとったというアンケートがあり、それによると子は親にプレゼントをしたり、温泉に連れていったりするのが親孝行と考えがちですが、親からすれば、子どもが元気で暮らしているかどうかがいちばんの心配事。
時折、手紙や電話をくれるだけで親孝行になると考えている──といった結論でした。
なるほど。
すでに巣立ったお子さんを持つ親世代には、うなずける話です。
興味を引かれたのは、これから何回、離れた親と会えるかという計算式。
計算式といっても簡単なものですが、男性の平均寿命81歳、女性が86歳として、そこから自分の親の年齢を差し引き、年間に会う回(日)数をかけるだけです。
父親が65歳で、お盆や正月など年に5日会えるとしたら、
(81-65)×5=80
という計算になり、一生のうちで、あと80日は父親と会えることになります。
この「80回」が多いか少ないかは、個人によって感想が異なるでしょう。
が、こうした数字を示されると途端に、人生は永遠じゃないことに気付いて、少し切なく、寂しい気持ちになります。
いろんな視点で人生を逆算
家には、家族が住みます。
夫婦が最初の単位となり、そこに子どもが加わって、その子どもが独立するとまた夫婦の単位に戻ります。
新しい家での子育て期間はわずか10年前後。
人生80年のうちの30~40年は子どものいない住宅で夫婦だけの生活を余儀なくされます。
しかし、その夫婦も、いつまでも一緒にいられません。
場合によっては、20年も30年も、一人暮らしとなる可能性も否定はできないのです。
たくさんの夢を抱いて、新築やリフォームをするのですが、例外なく、誰もがやがて、こうした現実に直面しなければならない運命にあります。
夢は夢で抱いてかまいません。
ただ、私たちは往々にして、辛い現実に向き合うことを避けて生きる習性を持ち合わせています。
欧州のある国では、一方的なものの見方を「塔から見える範囲でしか考えていない」という言い方をします。
家づくり、ひいては人生設計というテーマについては、塔からの視点だけではなく、地面からも塔を視る、できればいろんな方向から見つめ直す作業が必要です。
生からの視点と死の視点と
例えば、この1年、これから5年、これから10年、20年…と自分の家族のライフサイクルを紙に書き出すだけで、いろんなことが見えてきます。
可視化するのです。
自分の親と、妻や夫、子どもたちと、あと何回会うことができるかといった計算をしてみます。
逆算する視点が現実を受け容れ、それがいい方向での将来設計の一助となることもあります。
現在、60歳の女性は(男性の平均寿命81歳として)ご主人とあと21年、連れ添うことができる計算です。
75歳の父親がいるとしたら、あと6年しか同じ時間を過ごせません。
その父親と会う機会が年に7日あるとすれば、
(81-75)×7=42
と42日という時間しか、一緒に過ごせないことになります。
何度計算してもそうなります。
単純な計算式なのですが、この数字を目の当たりにすることで人生の限界が見え始めます。
徹底した個人主義を貫き、死ぬまで自分の力で生き抜こうとする西洋とは異なり、小さな家で家族が肩を寄せ合って生きてきた日本人。
この国で、核家族の形態が主流になってから、まだ数十年しか経っていません。
未熟な個人主義を唱え、世界一の長寿国といわれながら、生きる場所、死に場所を失ったお年寄りを抱えているのは周知のとおり。
お年寄りの姿は、遠くない私たちの姿そのものです。
人生を「死」のほうから眺めてみる。
そうすることで、もう少し、周囲の人にやさしくなれるかもしれません。
肉体をもって
この瞬間に存在していることの
あまりの短さ。
コロナで会えない時間が
会えない時間に拍車をかけてきました。