Where we belong.=【家を知る・家に住む・この家で生きる】

そして、私たちの「居場所」について。

【実家の整理】=「捨てるモノ」を選ぶより「捨てたくないモノ」を選んできた。

 

 

 

 

 

 

 

Photos by Sweet Potato..

老いた親と実家。この二つにどう向き合うかは、誰にでも避けては通れない課題といえます。いつまでも両親二人で、あるいは一人暮らしをさせておくこともできず、同居もしくは施設入居となれば、実家は即、空き家となってしまいます。空き家を抱えた地域はやがて、過疎の地に――。この問題も、少しずつ考えていかなくてならないようです。

 

 Contents.

 

「親家片」の行く末とは

「親家片」(おやかた)という言葉があります。

「親の家を片付ける」意味で使われます。

 

初めてこの言葉を目にしたとき、みんな悩んでいるんだなあ、というのが率直な感想でした。

 

80代の母がいます。

父が亡くなってから、30年近くも一人暮らしを続けてきました。

 

一度も入院をしたことがありません。

 

健康ではないのです。

少々の病気やケガはあったものの、私たち子どもや周囲の人に迷惑はかけられないと、丁寧に丁寧に暮らしてきたのでした。

 

お腹が痛くなっても、インフルエンザにかかっても、頭痛がしても、捻挫をしても、一人で乗り超えてきました。

 

家にあるモノは多いほうではなく、30代の若夫婦の家くらいの量しかありません。

 

小さな家ですが、どの部屋も、すっきりと片付けられ、冷蔵庫の中も、古いものからタッパに詰め替え、きちんと並べられていました。

 

不要なモノは買わない。

買ったモノは、とことん大事に使う。

私たちが子どもの頃から、この2つを徹底してきた人でした。

 

 

 

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何を捨てるかという迷い

それでも80年も生きていると、モノは増えていきます。

掃除をしたり、持ち物の整理をする意欲が年とともに衰えてくるのも、当然のことといえましょう。

 

実家に行くたびに、片付けを手伝ってきました。

しかし、冷蔵庫や棚には賞味期限・消費期限切れの食品やモノが増え、大量に捨てることも多くなっていきます。

 

スーパーの生鮮食品、惣菜、調味料は、一人暮らしには多過ぎるものばかり。

タッパに小分けして保存しているうちに、忘れてしまうのも仕方がありません。

 

認知症は、どんどん進んでいきました。

同じカップ麺やしょう油やサラダ油などが、棚のなかに、何本も並ぶようになっていきました。

 

そんな母を遠く離れたわが家に引き取ることを決めたのは、4年前のこと。

 

引っ越しが近付くと、母は、何をどれくらい手元に取っておき、どれを処分したらよいのかを考えるだけで「パニックになりそうだ」と、頻繁に電話をよこすようになりました。

 

転居先のわが家も、整理整頓が徹底されているわけではなく、(母が一人暮らしだったとはいえ)、2所帯分の生活道具をじゃんじゃん持ち込むほどのスペースはありません。

 

実家も、わが家も、毎日のように、整理整頓、モノの整理に追われました。

 

 

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モノも空き家も社会問題

モノのない時代から大量にモノを買える時代になり、核家族・少子高齢化に伴い、モノがあふれた家が増え、その家がやがて空っぽになっていきます。

 

「親家片」の問題は、あふれたモノにとどまらず、空き家問題まで内包する社会問題になりつつあります。

地域の中にも、空き家という片付けにくい、やっかいなモノがあふれるようになってきたのです。

 

安かろう悪かろうのモノたち。

安いのがありがたくて購入したものの、結果、やはり早くダメになってしまいます。

 

そして、30年もたてば資産価値がゼロとなる日本の家。

モノに囲まれ、夏は暑く、冬は寒く、少ない年金を圧迫し続ける光熱費を支払いながらの生活に、夢を抱くことはできません。

 

それでも日本は長寿の国となりました。

言い換えれば、私たちは平均寿命90年近くの人生を生きなくてはならないのです。

 

健康寿命という言葉がありますが、おおよそ20年は健康ではない状態で、生きていくことになります。

そう考えるとき、自分の前に立ちふさがる課題が、少しずつ浮き彫りになって見えてきます。

 

引っ越しする前、母には「不要なモノは捨てようね」といってきました。

返ってくる答えはいつも「みんな必要なんだよ」。

 

 

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捨てるモノなど選ばない

他者から見れば、さもないモノでも、母にとっては思いのこもったモノばかり。

そうした心の領域に踏み込むこと自体、親子の対立の原因になることは少なくありません。

 

ない知恵を絞って考えました。

ある時期から、「捨てるモノ」ではなく「捨てたくないモノを選んでおいてね」ということにしたのです。

 

言葉というのは不思議なものです。

 

角度を少し変えただけなのに、母は機嫌を損ねることなく「はいはい」というようになりました。

 

これは好き、これは大事、これは思い出の、と選んでいくうちに、各部屋に「捨てたくないモノの山」と「捨ててもいいかなと思えるモノの山」ができました。

 

引っ越しの前月に行くと、その真ん中に、「迷っているモノの山」ができて、どの部屋でも3つの山に分別されているのです。

まだ認知症の初期でしたので、そのくらいはできたのだと思います。

 

 

 

 

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大事なモノから選ぶこと

自分に置き換え考えてみても、捨てるべきモノを選ぶのは何となく気が重たいですが、大事なモノから選んでいくというのは、少し楽しみがあります。

 

その先には結局、捨てるべきモノとの格闘が待ち構えているのですが、一つひとつ、目の前の問題に立ち向かっていくしかありません。

 

片付けないことには、一歩も前に進めません。

 

それからは、片付けのスピードが速まっていきました。

かくして、母の荷物は軽トラック1台程度にまとまり、無事にわが家に運ばれ、母との同居がはじまります。

 

その後、認知症が進んで、グループホームのお世話になるてん末は、いつかもここに書いた通りです。

 

軽トラック1台だった荷物は、さらに選別され、ホームの8帖程度の部屋にきちんと納まっています。

 

残りの荷物はわが家に置いてあるのですが、それでも箪笥1つ分くらいの量です。

 

「こんなにモノがなくても生きられるんだね」

いまの母の口癖です。

 

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まとめ

「捨てたくないモノ」と「捨ててもいいかなと思えるモノ」と「迷っているモノ」の3つの箱などに分け、「捨てなくないモノ」から先に処分する。あとの2つは、またあとで3つの箱に分ける。その繰り返し。