まど・みちおさんといえば「ぞうさん」「おさるがふねをかきました」「やぎさん ゆうびん」「一ねんせいになったら」など、誰もが一度は聴いたことのある歌の作詞作詞家として知られています。童話詩人としても「てんぷらぴりぴり」(大日本図書)、「まめつぶうた」など多くの作品を残しているのはご存じのとおり。私たち日本人の記憶のなかにそっと入り込んで、やさしい気持ちを奏でてくれるのです。
「一年生」に夢を託して
コロナの影響で、卒業式も入学式も中止になった学校が、全国でどのくらいあったでしょう。
何カ月も前から、入学前のお子さんが「1年生になったら 1年生になったら」と歌う様子を微笑ましく眺めていたパパやママたちは、4月、小学校の入学式が延期となって、どんなにがっかりされたことと思います。
遠い昔、私たちもこの歌に、夢を膨らませて、小学校に行くのを楽しみにしていたことを思い出します。
「一年生になったら」はまど・みちお作詞、山本直純作曲の童謡で、1966年に発表されました。
友達が100人できたら富士山でおにぎりを食べ、日本をドッシンドッシンと一回りし、世界中をワッハハと震わせる、と大きな夢がいくつも描かれています。
その夢は、未知なる世界に向かう子どもの不安の裏返しであり、わが子をようやく小学校に入学させる親たちの希望の結晶でもあるはずです。
小さな偏見も見逃さない
NHKのラジオで「ぞうさん」が初めて放送されたのは1953年のことでした。
2014年2月28日、104歳で亡くなるまで、まどさんが手掛けた童謡や絵本、詩集などの作品は、2000編を超えるといいます。
「一年生」や「ぞうさん」はもちろん、「やぎさんゆうびん」なども、いま聞いても少しも古さを感じないのはなぜでしょう。
日本人なら誰もでも知っている「ぞうさん」(團伊玖磨作曲)の歌詞は、いたってシンプルです。
誰かに「君は鼻が長いね」と指摘されたぞうさんの子は、胸を張って「母さんも長いのよ」と言います。
「誰が好きなの」との問いには「母さんが好きなのよ」と答えるのです。
その答え方は、大好きなお母さんや学校の先生に褒められたときのように、うれしく明るく高らかで、自信に満ちています。
84歳のとき、まどさんは「ぞうさん」について、こんなふうに語っています。
「それは象が象として生かされているのを喜んでいるからです」(文藝春秋 1994年3月号)
ゾウの母子の温かな関係を描きつながら、ささいな偏見も見逃してはいない鋭さと、静かにたしなめる優しさ。
深い洞察さえユーモアに変換した言葉の束が、私たちの胸に届いて響いてくるのです。
いつも誰かを想っている
白ヤギさんと黒ヤギさんの間でお手紙が交換されるのが「やぎさん ゆうびん」(團伊玖磨作曲)。
しかし、白ヤギさんも黒ヤギさんも読む前に食べてしまうので、手紙はいつまで経っても互いに届きません。
白ヤギさんも黒ヤギさんも用件が気になるのですが、内容は永遠に把握できない、という少々困った内容なのです。
ヤギさんたちは、同じ空の下にいる相手のことを思わずにはいられませんでした。
だから、元気でいることを確認しただけで安心してしまうのです。
「ぞうさん」と同じく、自分も相手も「生かされているのを喜んでいる」気持ちが伝わるから、私たちも元気になれるのかもしれません。
生きてることがうれしい
まどさんが描く主人公たちは、漬け物石やナマコやミミズ、サルや人間まで、世の中のあらゆる存在が、生きているだけで満足し「生かされている」ことがうれしくてしょうがありません。
誰かの存在を考えるということは、その対極にある「無」を考えることでもあるでししょう。
勝手な解釈ではありますが「無」も形あるものの別の形。
消えてしまったもの、消えていくものたちのおかげで「生かされている」との考えは、般若心教の「色即是空、空即是色」にも通じています。
かけがえのないことは、どんどん変化していきます。
どんなに大人になることを拒んでも、1年生は翌年には1年生でなくなってしまいます。
そうの子のお母さんも、やがては年をとって、母子の別離があります。
ヤギさんたちが、どんなに固い友情で結ばれていても、お手紙が途絶えるときが来るかもしれません。
だからこそ、いま、この瞬間に存在するもの全てがいとおしい、というまどさんのメッセージが、私たちの視界をクリアにするのです。
あらゆる「いのち」に注がれる視線が、生きていることの奇跡を気付かせる。
未知なるウイルスが、私たちの世界に浸潤しても「生かされている」喜びを、胸を張って、丁寧に重ねること。
小さく歌を口ずさむだけで、1年生やゾウさん、ヤギさんたちが、きっと勇気を与えてくれます。
言葉の響きを大切にしたい。
言葉は、意味だけでなく響きも人間の大きな財産なんです。
しかも意味より、響きとの付き合いの方が長い。
耳を持って以来ですからね。
2014年2月28日、そういい残して、104歳で宇宙に還っていったまどさん。
翌朝、谷川俊太郎さんが新聞にこんな言葉を寄せていました。
――こんなにやさしい言葉で、
こんなに少ない言葉で、
こんなに深いことを書く詩人は、
世界でまどさんただ一人だ。