Where we belong.=【家を知る・家に住む・この家で生きる】

そして、私たちの「居場所」について。

【アンネの日記】=あと少し背伸びをするだけで手が届きそうだった、彼女の「居場所」。

 

 

 

 

 

 

f:id:akadk01:20210427161808j:plain

アンネという言葉を目にしたり、耳にするだけで、胸が苦しくなり、少しだけ暖かくなります。極限ともいえる恐怖のなかにあってもなお、日記を綴り、言葉の中に、夢を描き続けた少女。彼女のことを思い起こすたび、人間の持つ可能性と、恐ろしさを同時に感じるのです。

 

Contents.

 

残された1冊

【あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話できそうです。どうかわたしのために、大きな心の支えと慰めになってくださいね】(1942年6月12日 アンネ・フランク)

 

いまなお世界中で読み継がれている『アンネの日記』。

この文面からわかるように、1942年6月12日、アンネは自分自身に宛てた手紙のように日記を書き始めます。

 

場所はアムステルダム中央駅から徒歩15分、街の中心地。

1944年初頭、アンネはラジオでオランダの文部大臣が「占領中の苦難を記録してほしい」との話を聴き、日記の編集に取りかかります。

 

「あなた」とは日記そのものであり、アンネはそれを「キティー」と名づけました。

 

 f:id:akadk01:20200313102014j:plain

 

www.ienotomo.com

 

 

 

 

 

 

 

15歳の見た光

アンネ一家の隠れ家は、運河に面したオランダ家屋の裏側。4階建ての大きな建物で、アンネの家族4人と他の家族4人の計8人での暮らしでした。

 

【踊り場の右手のドアが、わたしたちの隠れ家へ通ずる入口です。この灰色の質素なドアの内側に、こんなにたくさんの部屋が隠されていようとは、だれだって想像しないでしょう。ドアの前に段がひとつあって、それを上がると、もう隠れ家のなかです】

 

【私達の隠れ家の入り口は、いまではしっかりカムフラージュされました。クーフレルさんの思いつきで、ドアの前に本箱を置いた方がよさそうだということになったんです。下へ降りる時は、この戸口でまず腰をかがめ、それから、とびおりなくちゃなりません】(1942年8月21日)

 

時計イメージ

 

www.ienotomo.com

 

 

 

 

 

 

夢と願いの跡

一家が2年もの間、ナチスの目から逃れることができたのは、オランダ家屋が持つ、特殊な構造のおかげともいわれています。

 

建物は「表の家」と「裏の家」の半分に分けられ、それを階段でつなぐ構造。3階の踊り場から「裏の家」へ通じる入口を本棚で隠し「裏の家」の3・4階部分を隠れ家としたのです。

 

部屋中が分厚いカーテンで覆われ、日中も真っ暗。

あらゆる物音とナチスの影に怯えながら、物音一つたてず、咳一つできずに暮らす日々は、どんなにか辛いものだったでしょう。

 

【ああ、キティ、今日は素晴らしいお天気です。外出できたら、どんなに嬉しいでしょう!】

 

ナチスは、アンネ一家を隠れ家から連れ去る際、一家が持っていた金目のものをすべて奪い尽くしました。

残ったのは、アンネの日記帳ただ一つ。そこにはアンネ自身と家族の生きた軌跡、夢や願いがたくさん詰まっていました。

 

 

 

f:id:akadk01:20210427161845j:plain

www.ienotomo.com

 

 

 

 

 

 

内的な居場所

日記は、1944年8月1日付けで終わっています。

一家は3日後の8月4日、ナチスによって強制収容所へ送られ、その後アンネはチフスにかかり、15歳の短い生涯を閉じました。

 

父親、オットー・フランクだけが戦争を生き延び、戦後、アンネの夢の実現のため日記の出版に尽力しました。

 

作家の小川洋子さんは著書の中で、こんなふうに語っています。

――一旦閉じこもることによって、外の世界と適度な距離を取り、自分と一対一で向き合うことによって、孤独を手に入れる。その孤独が人を成長させるのだと思います。サナギになって一旦死んだように静かになったあと、昆虫が劇的な変化を見せて成虫になるのと同じです。

 

孤独な生活のなかで考え続けた、小さな幸せ。

ほんの少しの背伸びするだけで手が届きそうだった夢。

 

アンネの居場所は、狭く古びた一室であり、家族であり、孤独の化身でもある「キティ」でありつづけました。

 

天国に旅立ってからもなお、アンネの心のなかに存在し続けた「居場所」でもあったとしたら、やはり、少しさびしい気持ちになります。

 

 

アンネ・フランクの家 公式HP(英語)http://www.annefrank.org/e

 

椅子イメージ

 

 

www.ienotomo.com

 

おすすめ図書

 アンネは1929年、ドイツ・フランクフルト生まれ。間もなく始まったユダヤ系への迫害に身の危険を感じた一家は、難民に寛容だったオランダ・アムステルダムへと移住します。

 

アムステルダムで迎えた13歳の誕生日、父から「赤と白のチェック模様が入った」サイン帳を贈られ、これが日記となります。

 

サイン帳のほかにも手帳や紙に記録を整理をしつづけたアンネ。

 

オランダ語の初版が出版されたのは1947年。1950年にはフランス語・ドイツ語版が出版され、1952年に日本語版と英語版が上梓されます。

 

オリジナル版、絵本など数多くの種類があります。

 

ふつうの女の子の小さな夢や望み、家族の存在が、なぜ押しつぶされなければならなかったのか。

時代や戦争のせいにするのは容易です。

 

それらを引き起こした芽のようなものが、私たち自身のなかに密かに存在してはいないか。

この日記は、そんなことを静かに問いかけているように思えてなりません。

 

※参考文献/『思い出のアンネ・フランク』深町眞理子・訳       文春文庫

オランダ政府観光局/ベルギー・フランダース政府観光局HP