ときに、非情な運命に支配されても、自らの魂にあたたかな情景を描くのか、憎しみで満たすのか。私たちはいつでも自由な「物語」の作家です。
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「難病」の定義とは
先日お会いしたA子さんは、この20年間、ある「難病」と闘い続けています。
闘っているのではなく、共に生きているといった方がいいかもしれません。
2年ほど前、アメリカの有名な女性歌手が休業に至った病気と同じ、とうかがいました。
一般に「難病」とは、治療法が確立していない病気のことをいいます。
現在、世界中で確認されているのは約5000疾患。
日本の厚労省では、
1.原因不明、治療方針未確定であり、かつ、後遺症を残す恐れが少なくない疾病
2.経過が慢性にわたり、単に経済的な問題のみならず介護等に著しく人手を要するために家族の負担が重く、また精神的にも負担の大きい疾病
――を「難病」と定義しています。
言葉を錆びさせない
そのA子さんが本を書きました。
24時間、全身に「細かなガラスの破片が突き刺さっているような激痛」を抱えながら、全編を新たに書き下ろしたのです。
椅子に座っていられないほどの痛みときには、ベッドに横になり、かすかに動く指を動かしスマホに書き込みます。
ある程度メモがたまったら、パソコンに転送。
少し調子のいいときに、パソコンで文章として整え、それを編集者にメールで送るという作業を繰り返しました。
歯痛の数十倍ともいわれる痛みを抱えていますが、A子さんはいつも明るく、元気な人にしか見えません。
どんなに痛くても「言葉を紡ぐために手を動かすときが幸福です」という言葉は、言葉を扱う仕事の自分には、ときに耳の痛い言葉でもありました。
研がない刃物のように、言葉は丁寧に扱わないと、すぐに錆びついてしまうのです。
人間は物語を生きる
同じ出来事、同じ言葉でも、ある人には何ともなく、ある人には心が刻まれるほどの痛みを伴います。
私たちは無意識のうちに、自分のなかで歓びを拡張したり、悲しいことは見えないふりをするなど、生きやすいように生きているのです。
現実を生きながら常に「物語」の中を生きているともいえます。
A子さんは、これまで、いくつもの医療機関で「治療法がない」と突き放されてきました。
「それでも私を支えてくれた方々がいた」と、感謝の気持ちを文章として編みました。
感謝をして生きる「物語」を選択したのです。
覚悟を決めた人の姿
育った家庭、土地、環境、健康状態。
人によってさまざまです。
しかし、喜びや悲しみ、つらさや痛み、夢や希望、孤独や憎悪――これらのメニューは、全ての人に公平に与えられています。
それらを自分の「物語」にどう取り込んで生きるかは、本人の自由。
選ばれた自由のかたちが、その人の生き方です。
現実を受け入れ、感謝に転換できる人は、たいてい静かに生きています。
その静かさは、言葉の否定により醸されたものではありません。
人生を逃げずに、自分の「物語」を生きることを覚悟した人の、静かさです。
おばあさんは粉箱をごしごしひっかいて集めた粉で、おだんごぱんを焼きました。窓のところで冷やされたおだんごぱんは、ころんと転がると、いすからゆかへ、ゆかから戸口を出て、おもての通りへ逃げ出しました。途中で出会ったウサギからも、オオカミからも、クマからも上手に逃げたのに、口のうまいキツネに、つい気を許して……。ロシアの民話の絵本(Amazonより)。
子どもの本にとっていちばん大事なのは、読み手が「物語」のなかに入っていって、そこで生きることができること。
自分のなかにもともとあった「物語」を、ちゃんと語り得てくれる本に出会うことが大切です。