Where we belong.=【家を知る・家に住む・この家で生きる】

そして、私たちの「居場所」について。

音、【noise】と聞くか【message 】として捉えるかの選択。

 

 

 

Photos by Sweet Potato..

私たちは、この世界を身体や心で瞬時に感じられる感覚を得て生まれてきました。代表的なものが、いわゆる五感と呼ばれる感覚です。しかし、同じものを見たり聞いたりしても、捉え方は人によってさまざま。目の前にあるものを、どう捉え、何をイメージするかによって、その人の本質が顕れることもあります。

 

待合室における人間ドラマ

先週、左眼の手術をしました。

2年ほど我慢してきたのですが、限界でした。

 

網膜の病気で、垂直線がぐにゃりと歪んで見える病気です。

横線はあまり気にならないのですが、縦の線がいけません。

 

写真は垂直が命。

書籍の校正は全て縦書きですので、苦しい思いをしてきました。

手術が遅れたのは、怖かったというのが、実は、いちばんの理由かもしれません。

 

手術は日帰りでしたが、術後5日目の今日もまだ、眼球にラップを数枚重ねた程度にしか見えないのです。

ほとんど右眼の視力だけで、これを書いています。

 

昨日も、術後の診察に行ってきました。

病院の待合室。

いろんな人がいます。

観察しているだけで飽きることはありません。

 

眼科ですので高齢の方が大半ですが、それでもいろんな世代の方々が来ています。

 

おじいちゃんに付き添って、診察室まで手を引く20代の男性。

お孫さんなのでしょう。

おじいちゃんの曲がった腰に右手を添え、左手はおじいちゃんの手をやさしくつかんで診察室に入って行きます。

2人の間に言葉はありませんが、あたたかな絆で結ばれていることは、その場にいた誰もが感じていたはずです。

 

80代後半と思われるおばあさんが、やはり80代のおじいさんに寄り添うご夫婦の姿がありました。

2人とも耳が遠いのか、大きな声で、この間の手術のあと、どんなふうに見えるとか見えないとか、そんな話をしています。

先生の悪口も少し入っていましたので、ちょっと笑ってしまいます。

ご本人たちは小声のつもりなのです。

 

片目に眼帯をしたおばあさんの手を引いてきたのは、娘さんでしょうか。

近くの長椅子に腰掛け、その娘さんらしき人は小さな声で、70代後半の母親に小言を言い続けています。

 

「私だって、何日も仕事、休まれないんだから」

「明日の手術も、あさっての診察も、一人で来てもらわないと」

 

お母さんは一人暮らしなのでしょう。

娘さんは仕事を休んで、遠方から付き添いに来ているのです。

白内障の手術は通常、2日に分けて片目ずつ行われます。

日帰り手術がほとんどですが、手術の翌日は必ず診察に来なくてはなりません。

最低でも3日は仕事ができないことになります。

眼帯のお母さんは、何も言葉を発しないで、小さくうなずくばかりでした。

 

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日本人ならでの空間感覚

眼を閉じることはすぐにでできますが、人前で両方の耳を塞ぐことはなかなかできません。

 

五感とは便利なもので、見えていても見えないふりができますし、隣で誰かが話していても、何か考えごとをしていれば、まったく聞こえないこともあります。

もちろん、じっと見つめていたからといって、全ての情報を把握できるものでもありません。

 

日本の伝統家屋では建具も壁も薄く、襖や障子があっても、音は筒抜けのようなものでした。

それでも家族は、都合の悪いことは聞こえなかったことにする、都合のよくないものを見たときには見なかったことにして、家族のコミュニケーションを保ってきたのです。

こうしたコミュニケーションの文化は、社会のなかでも生きています。

 

以前、ここに「結界」について書きましたが、暖簾が掛っているだけでも、私たち日本人は、布の向こうに別の世界を瞬時につくり出します。

薄い紙や布一枚でも、あちらとこちらの空間を分けて捉える空間感覚は、日本人の特徴的な感覚といえましょう。

  

公共空間でも、家族の住空間でも、そこに壁があろうがなかろうが、互いの距離感を安全に保てることは、高い公共性を身に付けていることも意味します。

 

 

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能動的な五感の使われ方

手術は40分ほどで終わりました。

仕事を休んで付き添ってくれた配偶者と会計を待っていましたら、前の列に赤ちゃんを抱っこした若いお母さんが座りました。

 

お母さんご自身の診察で来たのです。

赤ちゃんは、どこにも預けることができなかったのかもしれません。

 

母子が長椅子に腰掛けた途端、赤ちゃんは大きな声で泣き始めました。

隣に腰掛けていた70代くらいの女性が、かわいいね、と微笑んで一生懸命赤ちゃんをあやしています。

 

後方に腰掛けていた女性が、チッと一回舌打ちをして「うっせーな」と小さく呟くのが聞こえました。

その声を察知したのか、若いお母さんはすっと席を立ち、自動ドアの向こう側に移動し、そこに立ったまま赤ちゃんをあやしていました。

 

 

同じ音でも、それを雑音や騒音として受け取るか、そこから発せられる「メッセージ」として捉えるかは、それを聞く人が決めることです。

自分はモーツァルトが好きでも、クラシックに興味のない人にとっては、ただの雑音に過ぎないのと同じでしょう。

 

私たちは「見えている」「聞こえている」ではなく、常に自分の意志で「見ている」「聞いている」のです。

その意味では、五感を働かせることは、きわめて積極的・能動的な行為ともいえます。

 

ドアの向こうで、泣き止まない赤ちゃんの泣き声を聞きながら、この左眼がやがて見えるようになったら、目の前のことをきちんと見ていこう。

そんなことを考えながら、病院をあとにしました。

 

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おすすめの本
 

本棚を眺めると、著者の本は40冊以上、並んでいます。中には、同じ本が2冊ずつある作品もあります。再読を繰り返し、ぼろぼろになってしまいますので、また新しい本を買っておくのです。あまり随筆を書かない人ですが、この1冊は何度読み返したかわからないほど。こんなに大阪弁を立体的に、美しく描くことのできる作家はほかに知りません。

 

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