Where we belong.=【家を知る・家に住む・この家で生きる】

そして、私たちの「居場所」について。

インドの旅と3.11被災地で学んだ【Home】の在り処。

 

 

 

 

By Pixtabay.

今年も日本の各地が深刻な災害に見舞われました。その都度、多くの人が家を失い、不自由な暮らしを余儀なくされています。そんなニュースを見るたびに思い出すのが、インドの旅と東日本大震災のあとの被災地での出来事。 災害のあとさきに私たちが失うものと、そこから得るものとは。

 

Contents.

 

ハリジャンと呼ばれる人たち

汗と泥、生ゴミとスパイスの臭いが入り交じり、路地裏全体に漂っていました。

そこに、突然のスコール。

泥の混じった水が、膝のあたりまではね上がってきます。

人も牛もタクシーもごっちゃ混ぜのカオス。

 

さらに細い路地に入ると、大人の胸の高さほどの貧相なテントが遠くまで並んでいました。

 

ハリジャンです。

インドで紀元前から続く身分制度「カースト」の中で、最も低い身分とされる「不可触賤民」と呼ばれる人々の群れ。

ハリジャンには「神の子」の意味があり、カースト差別撤廃を唱えたガンジーによって名づけられました。

 ちなみに、「不可触賤民」は「アンタッチャブル」です。

 

遠目から、いくつかのテントの中をのぞいてみます。

乳飲み子を抱えた母子。

テントの外で、虚空を眺めたままの老人。

片手、片足、片目のない幼い子どもや若者もいます。

彼らの多くは、少しでも同情を得て布施を得るため、意図的に障害を負わされた人たちです。

 

古びた七輪のようなもの。

真っ黒な鍋や釜。

プラスチック製の皿の数枚が、彼らの家財道具のすべてに見えました。 

 

 

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雨の道にばらまかれたお布施

彼らにお金やモノを与える通行人は、ほとんど見かけません。

しかし、観光客はすぐに彼らに囲まれてしまいます。

 

「バクシーシ、バクシーシ」

 子どもから老人まで、この言葉を叫びながら、寄ってくるのです。

 

彼らに何かを与えても、感謝の言葉はありません。

「バクシーシ」とは仏教でいう「喜捨」。

与えるほうにこそ、ご利益がある。

だから、あなたが、ありがたいと思いなさい、という考え方です。

 

4、5歳くらいの男の子と、その母親と目が合いました。

微笑みかけると、母親が笑みを返してくれます。

 

雨は止みかけていましたが、濡れるからテントに入れと手招きをしています。

 

「House?」

 

母親は首を振り、「Home」と答えました。

 

 

そのときです。

テントの前を通り過ぎた大柄の男が、右手に持った弁当箱を開け、米やおかずの残飯を路上にばらまきました。

これも布施の一つであることを知ったのは、それから何日かたってのことです。

 

母子はすぐに、残飯が雨や泥と混ざらぬよう両手ですくい上げ、薄っぺらな皿へと移しました。

 

泥で汚れた部分がきれいに取り除かれ、それはまるで作りたての手料理のように見えました。

 

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路上の母と子と過ごした一夜

先に、皿を差し出したのは男の子でした。

 

さっきの男がばらまいた残飯を食べてください、というのでしょう。

母親も痩せたあごを突き出して「どうぞ、食べなさい」という仕草をしています。

 

母子の皿には同じ量の残飯が盛られています。

三等分にしてくれたのでした。

右手の小指以外の4本の指を器用に使って口へもっていき、こうして食べるんだというポーズをしています。

 

ぱさぱさした細い米に、薄く絡んだカレー。

小さな野菜の欠片。

見事なまでに、土や小石、ゴミなどは取り除かれています。

食べ切るまでに30秒とかかりませんでした。

 

 

その夜、母子の「家族」の一人として、狭いテントで一夜を過ごすことになりました。

英語は通じません。

母親が知っているのは、ワン、ツー、スリー。そして、「ホーム」。

 

何をいっても、母子は首を少し横に傾けて、静かに微笑んでいます。

インドでは、YesやOKのとき、日本のように縦にうなずくのではなく、かわいい仕草で首を横に傾げるのです。

 

いつの間にか、アスファルトの上に敷かれたビニールシートに身を横たえ、眠ってしまいました。

 

朝。

再び、一夜の宿となったテントを指差し「Home」とつぶやいてみました。

 

母親がやさしく笑って「Home」と、きのうと同じ言葉を繰り返しました。

 

 

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避難所にできた温かな繋がり

2011年3月11日14時46分。

「ギギッギギッ」と携帯電話の不気味な音が事務所に鳴り響きました。

 

画面には「宮城沖で地震発生」。

緊急地震速報です。

 

津波を免れた首都圏でも停電、断水。

電車も止まり、その日から、水や食料、ありとあらゆる生活物資が不足しました。

 

津波で町が全壊した被災地に駆けつけたくても、しばらくガソリンがない状況が続きました。

被災地に入ったのは、数日後のことです。 

 

数百人が詰め込まれた避難所。

自宅の1階が津波に呑まれ、倒壊寸前の2階の隅の一室。

そこに、入れ替わり立ち替わり、各地から訪れる報道陣の質問に丁寧に受け応えする人たち。

 

東京からやって来た女性キャスターに「遠くから来たのだから」と貴重な薪を燃やして湯を沸かし、わずかに残ったインスタントコーヒーを差し出す人。

 

避難所で、お年寄りの肩を揉んであげたいと組織された、幼い子どもたちによる「肩揉み隊」。

 

自らも家族を亡くしながら、家や家族を亡くした人の声にじっと耳を傾ける役場の職員。

 

「明日もまた、必ず食べ物を届けに来るから」と孤立集落の人たちに声をかけて回る自衛隊員。

 

分散された避難所を徒歩で回り、一人ひとりの卒業生に卒業証書を手渡して歩く教師。

一部の子どもは避難所で証書を読み上げられ、その場にいた全員が拍手で祝福しました。

 

寒さに震えながら、隣に眠る見知らぬ子どもに自分の足を伸ばし「ばあちゃんの足、暖かいよ」と微笑みかけるお年寄りがいました。

 

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私たちのなかにある「Home」

津波で家は失っても、個々の中で育まれた「Home」が、他者の「Home」になり得る光景を、至るところで目にしました。

 

インドで出会った母子は、別れ際、二度と会うはずのない旅人に「ありがとう」と大きく手を振ってくれました。

 

写真を送りたくても、母子のテントには住所がありません。 

テントが風に飛ばされ失われることがあっても、あの母子の「Home」と愛と誇りは、永遠に失われることはないでしょう。

 

災害のニュースを目にするたびに、いまも、この二つの記憶が交互によみがえります。

 

この数カ月、多くの災害がありました。

現在は、千葉県の方々が停電で不自由な生活を強いられています。

心からお見舞い申し上げます。

 

 

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