Where we belong.=【家を知る・家に住む・この家で生きる】

そして、私たちの「居場所」について。

生活を軽やかにする【簡潔・省略・余韻】というキーワード。

 

 

 

 

Photos by Sweet Potato..





 

芸術は【引き算】から生まれます。建築、文章、写真、日々の暮らし、そして家づくりにも同じことがいえそうです。過剰さで価値を計るるのではなく、どれだけ無駄を省き、主題を浮き彫りにできるか。そのあとに【余韻】を醸すことができれば、ほんものなのですが。

 

Contents.

 

 

足し算の人と引き算の人

本の編集とは一般に、テーマに沿って著者に原稿を依頼し、それを受け取り、加筆訂正、デザインなどの整理を経て、写真や図面と組み合わせ、ゲラをつくり、何度かの校正を繰り返し、1冊の本にして世に出す仕事をいいます。

 

自分で書くこともあれば、編集に徹することもあります。

編集者の中には、自分では絶対に原稿を書かないという人もいます。

 

雑誌の場合は、著者が数十名になることもありますので、それらの作業×著者の数だけ作業が増えます。

 

編集が始まりますと、小さな事務所はテンヤワンヤの状態が発行日まで続くのです。

 

いろんな著者がいます。

依頼した文字数を最初から大幅にオーバーしてくる人。

確信犯です。

面白いことに、その逆の人はあまりいません。

 

校正のたびに、赤字を増やし、文字を追加してくる人もいます。

ばっさりと削る作業をしてくれる人はごくわずか。

ちまちまと直してくるか、大幅に足すことで、内容を修正する人が多いようです。

 

最初はそんなに書けるかなあといいながら、大半の人は文字数をかなりオーバーして原稿を書いてきます。

 

研究者や執筆を専業としている人でも、編集者の手にかかると、たとえば、2000字の原稿を500字に減らしても、書き手のいいたいこと、要点を読者に伝達できる文章にすることができます。

 

だったらおまえ書けということになりますので、あくまで、お尋ねしたうえで行います。

 

エディトリアルデザインも同じ。

 

限られた誌面に過剰なケイ線、必要以上に大き目の活字、そこまで大きく、増やさなくてもいい写真――など、とにかく情報を詰め込むタイプのデザイナーがいます。

 

反面、可能な限り余白を生かし、シンプルに徹するデザイナーもいます。

30年後に誌面を開いて、古さを感じさせないのは、100%後者です。

 

写真について大切にしているのは、キャプション(写真説明)を付けられる写真かどうか。

 

要点を絞り切って、主題を明確にした写真は、キャプションを付けるのも容易です。

今回ここで使っているイメージ写真なので、その限りではありません。

 

どんなにきれいで見た目のいい写真でも、伝達したいことを絞り切れていない写真はキャプションが付けられません。

 

カメラマンが「きれいさ」を優先しているのか、1枚の写真の「ストーリー」を大事しているかは、写真1枚を見るだけでわかります。

 

  

By Pixtabay.

 

 

無駄を削ぎ落とす日本の文化

日本の文化や芸術はシンプルさを旨とするものがほとんどです。

 

建築では茶室の設計がそうですし、茶道や華道なども足し算の芸術ではなく、引き算の美学を求めます。

 

能もその一つ。

無駄なものを省いた最小限の舞台設定、振り付け、舞いの表情は、そのシンプルさゆえに、観客の想像力が求められます。

 

囃子方は、笛・小鼓・大鼓・太鼓のみ。

いずれも、音楽を奏でるというものではなく、むしろ音と音の「間」にある無音を聴かせるのです。

 

文豪ヘミングウェーは、文章の推敲時、加筆することはほとんどなく、むしろ文章を削除する作業を徹底しました。

 

私たちも、原稿を書く際は指定された文字数をオーバーすることはなく、むしろ無駄を削る作業に力を注ぎ、要点を浮き彫りにすることに努めます。

 

話し言葉のように書く訓練は受けていませんので、どうしてもかしこまった記事体になってしまいます。

 

意識して、無駄の多い表現となるように努めるところがあり、書きながら落ち込むことが多く、まだまだ、この世界に慣れることができません。

 

 

 

 

 

 

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無口な文章と饒舌な文章

向田邦子のエッセイ「無口な手紙」に、こんな文章があります。手紙の書き方について書かれた文章です。

 

月並みなことだが、

簡潔

省略

余韻

この三つに、いま、その人でなければ書けない情景か言葉がひとつはほしい。

(略)

いい手紙は、特にハガキは、字余りの俳句に似ている。

行間から、情景が匂い、声が聞こえてくる。

 

 

「男どき 女どき」向田邦子(新潮文庫)収録

 

 

手紙に限らず、文章を書くとき(紙媒体のとき)、写真、編集、どんなときにでも大切にしてきた言葉です。

 

行間からの情景、匂い。

こんな文章を書くのは、一生のテーマといってもいいでしょう。

 

ずっと昔、鬼のようなデスクから「書きたいことを書かずに、伝えたいことを書け」「行と行の間の白地から言葉が見えるように書け」と何度も叱られました。

いまも課題であり続けます。

迷ったときに思い出すのは、この2つの言葉です。

 

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瞬間瞬間の生き方にカタをつける 

「シンプルな家」を取材・撮影することが増えています。

 

しかし、幾多の副題を削ぎ落とし、主題を際立たせて撮ろうとしても、空間に美しさが感じられない家もあります。

 

簡潔、省略――のプロセスを経ない空間は、途端におしゃべりな空間になってしまいます。

 

そうした生活が悪いのではありません。

本来、生活とはだらしのないことを許してくれるもの、といつか、ここでも書きました。

 

ほんの1秒2秒をかけて、片付ける。

つまり、ものごとに、その都度、【カタ】を【つける】気持ちがあるかどうかが、見えてくるのです。

 

片付けることは、「片をつける」あるいは「方を付ける」。

それまでの物事が落着する。

決着をつける。

定まらなかったことに「ケリをつける」ことで初めて、物事や形が本来の形、理想に近づく、といった意味があります。

 

つまり、「片付ける」とは、その人が、瞬間瞬間、どんなふうに自分の生き方、自分の時間に決着をつけようとしているかの、姿勢そのものともいえます。

 

ジェローム・K・ジェローム「ボートの三人男」の中に、こんな言葉の往還があります。

がらくたは投げ捨ててしまえ。

ただ必要なものだけを積みこんで―生活の舟を軽やかにしたまえ。

簡素な家庭、素朴な楽しみ、一人か二人の心の友、愛する者と愛してくれる者、一匹の猫、一匹の犬、一本か二本の愛用のパイプ、必要なだけの衣料と食料、それに必要より少し多目の酒があればそれでよいのだ。

 

「ボートの三人男」ジェローム・K・ジェローム(中央公論新社)

 

 

以前もここでご紹介したソローは「森の生活」の中で、こんな言葉を遺しています。

私は、暮らしとはいえない暮らしを 生きたいとは思いません。

私は今を生きたいのです。

私はあきらめたくはありません。

私は深く生き、暮らしの真髄を吸いつくしたいと熱望しました。

 

町の家は、公用か個人所有かによらず、ほとんど無数と言っていい多くの部屋があり、いくつかの大広間があり、そしてワインその他の平和のための武器を貯える地下の貯蔵庫がいくつかあります。

使う人の数に比べ、途方もなく大きく、あきれます。

家屋が壮麗で広大に過ぎて、住む人がまるで 勝手に住み着いた家ネズミかゴキブリのようです。

 

  

「ウォールデン 森の生活 」ヘンリー・D. ソロー (小学館文庫) 

 

By Pixtabay.

 

余韻が醸される原点に立つ

人の心を打つ家のシンプルさとは、建築家や工務店に提供された「シンプルさありき」のシンプルさではありません。

 

そこで生活する人が、日々、あれこれ揺れながら引き算・足し算を繰り返し、面倒な作業に取り組んできた、すでに見えなくなったプロセス=時間=の中にそっと隠れているのです。

 

それらが徹底された先に、ようやく「余韻」のようなものが見えてきます。

見えずに、漂っているような感じ、かもしれません。

 

あったら便利は、ほんとはいらない。

食べること、寝ることができることが、家の原型。

そうしたシンプルさに気づいたときが【簡潔・省略・余韻】のはじまりです。

 

 

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※最後まで読んでいただき、ありがとうございました。コメントをいただいた方にもお礼を申し上げます。

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