Where we belong.=【家を知る・家に住む・この家で生きる】

そして、私たちの「居場所」について。

仏壇から考える、「もっと」を選ばない節度。

 

 

 

Photos by Sweet Potato..

 

取材や撮影で新築の家におじゃましますと、仏壇のない家、仏壇の代わりに簡単な祭壇を設けた家が増えていることに気づきます。核家族化、少子高齢化の影響ともいえますが、私たちの家づくり、そして先人たちへの思いは、どんなふうに変わっていくのでしょう。

 

 

仏壇・葬儀のかたちが変わってきた

確かに、仏壇のない家が増えています。

 

小さ目の家が増えて、そもそも仏間がなくなったこと、核家族化が進んだこと、マンションやアパートに住む人が増えたこと、理由はいくつかありそうです。

 

仏壇があったとしても、デザインが大きく変わってきたことにも気づきます。

キューブ型のかわいいデザイン。

お位牌だけが入る、A4サイズのもの。

 

リビングにある収納の一部に造り付けで組み込んだものもあります。

簡単な棚を設け、お位牌だけを置いたもの。

ニッチのように壁に組み込み、他の収納と同じデザインの扉を着けたものなど、さまざま。

もちろん、金ぴか、漆黒の数百万円の仏壇も健在です。

 

私の友人は、本棚の一角にスペースを空けて、そこに写真とお位牌を置いているだけです。

お位牌もお寺のものではなく、通販で購入したもの。

戒名ではなく、ほんとうのお名前が書いてあります。

 

ちゃんとした写真フレームに、とびきりいい笑顔の写真を飾っている人もいます。

この人は写真だけ。

家族の写真は百均のフレームですが、故人のフレームだけは1000円くらいのものを買った、とご自慢です。

 

両親のお骨を小さく砕いたものをペンダントに入れて、いつも身に着けている友人もいます。

この友人は長男ですが、子どもたちにも仏壇は持たせるつもりはないといい切ります。

 

 

お葬式の形態も、家族葬や直葬、仲間だけで行なう葬儀など、どんどん変わってきています。

仏壇のかたちも変化して当然なのでしょう。

 

 

母の葬儀は、これまでお世話になってきたお寺の住職にお願いする。

このことは、母が認知症になる前からの母との約束。

 

私たち夫婦は、葬式なし、戒名なし、墓なしと決めています。

直葬になるかと思われます。

 

千の風になる予定です。

 

子どもたちは写真だけでも飾ってくれるかしらと心配にもなりますが、これも彼らの判断に任せるほかありません。

 

4年前の実家の整理の際には、古い仏壇を業者さんに処分していただきました。

現在、わが家にあるのは10万円前後で購入したシンプルなもの。

祖父母、父などご先祖様が入っています。

 

これもそう遠くない母の死のあとに、整理することになります。

 

 

 

By Pixtabay.

 

 

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庶民が仏壇を置くようになったのは

日本で仏壇が祀られるようになったのは、1300年ほど前のこと。

ときの天武天皇の命がきっかけといわれます。

 

壇とは一段高い場所、仏様がお住まいになる世界を意味します。

 

仏壇は木でできているのに、なぜ「土へん」なのか。

素朴な疑問ですが、もともとは土を盛り上げてつくった、祭りや儀式の場だったという説が有力です。

 

室町時代には「書院造り」という住宅形式ができ、床の間が作られるようになりました。

そこに仏画を掛けたり、仏具を置いて礼拝するようになっていきます。

しかし、そうした高級な家の造り自体が、庶民にはまだ遠い存在でした。

 

庶民が仏壇を置いたり、お位牌を祀るようになったのは江戸時代から。

それでも限られた家だけだったしょうが、これが現在につながる仏壇の原形といわれます。

 

檀家制が普及したのも、この頃から。

ちなみに、檀家の「檀」はなぜ「木へん」なのか。

 

これは「檀」がサンスクリット語の「ダーナ」を漢字にした「檀那」を語源としているからとされます。

「ダーナ」には「布施」の意味があり、「布施をする家庭」=檀家というわけです。

 

日本独特の制度で、意外にも一般家庭での仏壇、檀家の歴史はまだ浅いことがわかります。

 

 

 

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かたちと思いの違い

飲み友だちでもある住職が、先日、こんな話をしてくれました。

 

「大切なのは、仏壇やお位牌、お墓ではなく、いまここに自分が生きていることを当たり前だと思わないこと」

 

自分の生命をこれまで繫いでくれた先人に感謝する気持ちさえ持っていれば、それで十分、というお話です。

 

仏壇に限らず、機能をかたちから考える人は少なくありません。

 

家づくりの際にも、子どもが2人だから子ども部屋2室。

趣味があるから、趣味のための部屋。

家事をするから、家事のための部屋。

リビングには大型TVありき。

キッチンといえば、メーカー製のシステムキッチン。

介護室には、電動ベッドに電動車椅子。

椅子や照明は、なんてたってデンマーク製。

 

住職のいう通り「思い」がいちばんだとしたら、子ども部屋のかたちや機能より、子どもを思う気持ちを優先すべきでしょう。

 

機械に頼る介護より、1日一度、弱った人の手をさすってあげるほうが、介護される側はどんなにかうれしいはずです。

 

100回の訪問介護より1回の外出、という言葉もあります。

 

立派な介護室をつくり、最新の設備で介護をしても、一歩外に出ることのほうがはるかに気持ちがいいのです。

すがすがしい晴れた日の朝、一緒に外に出てみましょうと声をかけ、身体を支えるのは、やはり人の思いと、そっと差し出す1本の腕。

 

介護室に数百万円を費やしリフォームしたご家族がいました。

窓もブラインドも、ベッドも照明の明るさも、テレビも全てリモコンで操作できます。

 

介護室を設ける予算がないからと、リビングのど真ん中に寝たきりのおばあちゃんのベッドを置き、家族みんなで一緒の時間を過ごす家族がいました。

おばあちゃんが眠りにつくと、家族はテレビを消して、そっと自分の(小さな)部屋に戻っていくのです。

 

 

 

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限界を受け入れるという品格

機能は目的がなくなった瞬間から「無機能」あるいは「無用」になります。

 

機能優先、機能重視という言葉がCMでも頻繁に使われますが、機能を優先・重視したものは必ず、目的以外では使用が難しくなる運命にあります。

 

子ども部屋に特化した空間は、子どもが独立後は、物置にしかなりません。

趣味室や家事室も同じことがいえます。

 

百万円を超える仏壇も珍しくありませんが、カビだらけの仏間でホコリを被り、枯れた花が置かれた仏壇を、いくつ見てきたことでしょう。

 

 

私たちは、「もっと、もっと」を選択しながら、どんどん無力になってはいないでしょうか。

 

人の思いは、どんな場面、どんな人にも溶け込み、変化し、目的に柔軟に寄り添うことができます。

家や設備やモノの機能に頼れないときは、身体も心も動かせます。

声を出すこともできますし、ふれることもできます。

 

その働きは、ときに、数百数千万円以上にも換算できるエネルギーをもっているはずです。

 

 

そんなふうに考えていくと、本棚の一角に写真を1枚飾り、毎日「ありがとう」と一声かけることでも、どんなにか、ご先祖さまが報われることでしょう。

ご先祖さまから受け継いだ仏壇を大事にされている人は、日々、こうした尊いお仕事をされていることと思います。

 

ありがとう、の一声は感謝の気持ちでもありますが、自分の内にある奢りや強欲から目をそらさない、おまじないの言葉でもあります。

 

こんな自分でも、当たり前ではなく、生かされている。

ときには、限界を甘んじて受け入れる節度が、人の品格を示します。

 

 

 

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※最後まで読んでいただき、ありがとうございました。コメントをいただいた方にもお礼を申し上げます。

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