Where we belong.=【家を知る・家に住む・この家で生きる】

そして、私たちの「居場所」について。

家の囁き=音や言葉を介さない美しさについて。

 

 

 

Photos by Sweet Potato..

 

Contents

 

 

 

家からの声に耳を澄ます

取材や撮影でおじゃまする家が、年間、50軒ほどだった時期がありました。

ハウスメーカーとのおつきあいはありませんので、規格住宅はゼロ。

100%、地元の工務店で建てられた家で、いずれも世界にただ一つの家といえます。

 

家に入ると、まず自分の五感で、空間を感じるようにします。

家を眺め、触れ、家の声を聴き、香りを確かめるのです。

 

どこどこの木で建てられたとか、施主の要望が多くて苦労したとか、どうだい、このニッチ、この和室、素敵でしょう、床といえばナラの無垢がいいね…といった家から発せられるメッセージを感じるようにします。

 

質問もします。

「あなたは、どんな家になりたいの?」

「どんなふうに、家族を守っていくの?」

言葉は聞こえてきません。

 

カメラを持ち、あるいはノートを抱え、家のなかを歩き回ると、次第に家からの言葉が見えたり、聞こえたりしてきます。

 

ビルダーの方、ご家族の説明をうかがいますが、なるほどと思うこともあれば、そんなこといってない、と思うこともあります。

 

 

 

 

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余白の感じられる家がいい

静かな家が好きです。

五感をざわつかせない家、とでもいうのでしょうか。

 

余白のある家が好きです。

隙間なくモノを集め、要望を積み重ねた家は、疲れます。

 

微笑みのある家が好きです。

そっと微笑んで、お辞儀をしてくれるような家。

 

匂いのある家が好きです。

その家、その家族にしか流れていない時間が匂い立つような家。

 

語り過ぎない家が好きです。

過剰な主張がなく、それでいて、想像力を喚起させる家。

 

沈黙を聴いてくれる家が好きです。

いま、ここにある時間を深めてくれる家。

 

きれいな家が好きです。

化粧を重ねた美しさではなく、内側から匂い立つような礼節がある家。

 

 

 

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一輪の花に宿る宇宙

どんな家でも、和室に足を踏み入れるときは緊張します。

仏壇があれば、ご家族の了解をいただき手を合わせます。

神棚も同じようにします。

 

家族ではない訪問者を安易に受け入れない雰囲気が、和室にはあります。

 

畳の上を歩くときには、自然に動作が静か、慎重になります。

フローリングでは感じなかった自分の動作が、そのまま微かな音になって響いてきます。

 

どんなに狭い和室でも、未知の空間を感じるから不思議です。

洋の空間にはそれがありません。

 

他の空間に比べて造作が削ぎ落とされているにもかかわらず、過剰なほどに、自分と対峙する要求を突き付けられるのです。

 

リビングでは大ぶりの花瓶に、大袈裟に盛られていた花も、和室はそれを受け付けません。

 

庭にアサガオが咲いたからと秀吉を招いた利休が、秀吉が来る前に庭のアサガオをすべて摘み取り、一輪だけを茶室に生けたという話があります。

 

床の間という限定された空間では、一輪の花でも宇宙を感じさせるほど、強い存在感を示すのです。

 

 

 

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見えないことで描かれる輪郭

くつろぎや安らぎのための器であるはずの家が、疲れる場所では困ります。

 

和室に限ったことではありませんが、どんな家でも、静かで沈黙の似合う場が必要です。

 

テレビの音の似合わない場。

窓を開ければ、自然の営み、四季の移ろいが感じられる場。

大きな声を必要としない場。

かすかな動作の音も、澄みわたって聴こえる場。

 

場ではなく、そんな時間をつくることもできます。

 

 

茶の湯では「三音」といって、茶を点てる時の心得があります。

釜の蓋をきる音、茶筅(ちゃせん)通しの音、茶碗に茶杓をあてる音で(異説もありますが)、茶席では、これ以外の音を立てないこと――。

いい換えれば、これら「三音」だけは意識して音をたてることを理想としています。

 

茶室での音は音ではなく、静寂さと沈黙を際立たせるための道具。

音や言葉を介さないことは、主客の気持ちを一つとし、宇宙の営みの一端にふれようとする試みでもあります。

 

このことは、同じ空間でも人間の気持ちを起点に、空間がつくられていくことを意味します。

 

 

照明やインテリアも、同じことがいえるでしょう。

優れた照明デザイナーは、明るさではなく、「闇」から考えます。

 

必要のないところにまで、まんべんなく光で照らしていく日本の灯りの文化はいつまで続くのかしら。

 

依然として、日本の照明は蛍光灯が定番。

必要なところは明るく、その他は暗くと「闇」まで考慮された空間は、居心地が異なります。

見えないことによってのみ、描かれる輪郭があるのです。

 

 

 

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Active white spaceの効能

雑誌や書籍の編集の際には、文字が情報として生きるよう、フォントや文字の大きさ、1行に入る文字数、行間隔、誌面の上下左右の余白など、ありとあらゆる計算をします。

 

そうして組み上げた誌面でも、白地の部分を埋めてほしいと主張する著者、クライアントがいます。

最後の文章の1行の空きまで埋めてほしいと述べる人もいます。

多くの場合、それらの対処は逆効果にしかなりません。

 

 

写真も同じです。

画面にいろんな情報を入れようとすればするほど、主題がボケてきます。

 

強調したいテーマを真ん中にして撮影するのは「日の丸構図」。

私たちが避ける手法です。

 

しかし、なぜこんなにも端のスペースが空いているのか、テーマ(たとえば人物)がなぜ中心にいないのか、と考える人もいます。

 

こうした方々は、デザイン的な視点で眺めているのではなく、情報の量で物事を捉えているのかもしれません。

これはこれで、正解なのです。

 

腕のいいカメラマン、編集者は例外なく余白の扱いに秀でています。

この余白は、何もないけれど、何かがある「Active white space」でもあります。

 

美しくなくてもいいから、たくさん機能がほしい、もっと便利に、という理屈もあるでしょう。

でも、便利だからといって、ポケットが30個もついたジャケットやTシャツを選ぶ人はいません。

 

あったら便利と思うものは、たいてい、なくてもいいのです。

 

 

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主張を抑えた静けさに宿る【美】

「余白」には、上品さや静けさ、落ち着きを感じますが、余白のないデザインは、雄弁で気忙しい、品のないイメージになりがちです。

 

隙間を埋めれば埋めるほど、互いに無用な干渉が生まれ、主題が認識しにくくなります。

 

日本の文化は、建築、音楽、絵画などほとんどが「余白」の文化といってもいい過ぎではありません。

その意味では「Active white space」の扱いでは、世界でもトップレベルにあります。

 

機能優先の西洋の空間は「間」よりも、「線」や「領域」が優先され「余白」や「間」は「無駄」でしかなかったのでしょう。

 

いちばんわかりやすい例が、日本の能や雅楽と西洋のロック、クラシックとの比較です。

 

日本の古典音楽は「余白」の塊。

西洋の音楽は、ひたすらに音符と音符の間を埋め、音を連続させます。

 

 

主張を抑えた静けさから生まれる「美」もあります。

 

 ※

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。コメントを頂戴した方にも、感謝いたします。

 

 

 

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