Where we belong【家を知る・家に住む・この家で生きる】.

そして、私たちの「居場所」について。

世界のプロが学んだ谷崎=【陰翳礼讃】。

 

 

 

 

照明

 

日本家屋や身近な漆器,食物などが「常に陰翳を基調とし,闇と云ふものと切れない関係にある」と書いた文豪・谷崎潤一郎。わずか数十年前まで、日本人全ての暮らしのなかにあった「陰翳」に美を発見し、その価値を世界に知らしめた傑作「陰翳礼讃」から学ぶこと。

 

 

沈痛な美しさ

文豪として知られる谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』にこんな一文があります。

──諸君はまたそう云う大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光りが届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぼうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。

 

その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げているのであるが、私は黄金と云うものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。『陰翳礼讃』((角川ソフィア文庫))

 

 

 

 

 

闇に浮かび上がるしかけ

日本の古い伝統的な家屋では、奥に行けば行くほど闇が重なり、床の間に置かれた季節の花や光を透かす欄間、透明なシェードを付けた電球、襖に描かれた金や白の大華や鶴など、闇のなかでほのかに浮かび上がる「しかけ」がいくつもありました。

 

光があっての陰があるのではなく、「陰」のなかの「光」が計算され、それは意匠でもあったのです。

 

谷崎は陰翳のなかでこそ、建築や庭、食器、能や歌舞伎などの芸術が発展したのが日本の特徴であることを考察していたといえます。

 

漆器と云うと、野暮くさい、雅味のないものにされてしまっているが、それは一つには、採光や照明の設備がもたらした「明るさ」のせいではないであろうか。

事実、「闇」を条件に入れなければ漆器の美しさは考えられないと云っていゝ。今日では白漆と云うようなものも出来たけれども、昔からある漆器の肌は、黒か、茶か、赤であって、それは幾重もの「闇」が堆積した色であり、周囲を包む暗黒の中から必然的に生れ出たもののように思える。

派手な蒔絵まきえなどを施したピカピカ光る蝋塗りの手箱とか、文台とか、棚とかを見ると、いかにもケバケバしくて落ち着きがなく、俗悪にさえ思えることがあるけれども、もしそれらの器物を取り囲む空白を真っ黒な闇で塗り潰し、太陽や電燈の光線に代えるに一点の燈明か蝋燭のあかりにして見給え、忽ちそのケバケバしいものが底深く沈んで、渋い、重々しいものになるであろう(同)。

 

 

 

 

 

  

 

 

光りを操る達人だった日本人 

 女性の美にも触れています。 

──夜光の珠も暗中に置けば光彩を放つが、白日の下に曝せば宝石の魅力を失う如く、陰翳の作用を離れて美はないと思う。

つまりわれわれの祖先は、女と云うものを蒔絵(まきえ)や螺鈿(らでん)の器と同じく、闇とは切っても切れないものとして、出来るだけ全体を蔭へ沈めてしまうようにし、長い袂や長い裳裾で手足を隈の中に包み、或る一箇所、首だけを際立たせるようにしたのである(同)。

 

ここでは「蒔絵や螺鈿の器」でさえも「闇とは切っても切れないもの」とし、そこで浮かび上がる美の哲学を「女」にも重ね、このような名文で書きあげているところが、まさに文豪です。

 

海外で出合った建築家やインテリアの専門家、建築を学ぶ学生たちの間では、教科書的な存在感。

 

蛍光灯の明るく白い光を照明としたのは、この数十年のことで、かつては日本人が光を操る達人であったことがわかります。

 

 

 

 

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