Where we belong.=【家を知る・家に住む・この家で生きる】

そして、私たちの「居場所」について。

照明は「闇」の演出と心得る。

 

 

 床の間


明るさと闇の間が消えつつある暮らし

インド北部のあるいなか町を歩いていたときのことです。

現地で知り合った人から夕食に誘われ、郊外のご自宅におじゃますることになりました。

駅で待ち合わせをし、そこから細い道を縫うようにして家に向かいます。道には街灯もなく、民家もわずかで、20センチ先も見えない闇のなかを延々と歩くのです。

 

生まれて初めての「漆黒の闇」。たまにすれ違う人もいるのですが、目の前に来て初めて人の気配を感じて驚いてしまいます。もっと驚いたのは、懐中電灯なしで深い闇のなかを自在に歩く彼らの視力です。「あそこの角を曲がれば着きます」といわれても、まったく見えません。

 

 

ようやく家に着いて、家に入ると、土間に敷物一つと古いソファが置かれた狭いリビングが、裸電球のオレンジ色に染められ、うっとりするほどきれいに見えます。

高齢のご両親、若い奥様の彫の深い顔にはさらに陰翳が刻まれ、彫刻のような美しさを湛えて見えるのです。

 

闇のない場所で生まれ育った私たちにとって、ほんとうの「闇」は物語の世界でしか体験できなくなっており、美しい陰翳を理解することも難しくなっているのではないかと感じた体験でした。

 

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京都で二条城を見学した際のことです。

夕刻の城内に入ってまず目に入ったのが、広大な畳の間の拡がりと長い廊下に沿って連なる鈍く光る襖、黄金に輝く天井。

荘厳といえるほどの装飾ですが、それらが陽の暮れが近い自然光のなかで、重厚な輝きを放っているのがわかります。

 

陽が暮れて闇に覆われ、そこに行燈、燭台などが1脚でもあれば、何十畳もの広さが闇で覆われていても、1点1点の装飾は淡く闇のなかに浮かび、静謐ではあるものの豪華絢爛の世界が表われてくるはずです。

 

蛍光灯のように全体を照らす灯りでは逆に、金屏風は輝くことはできず、わずかな灯りでこそ装飾が闇に浮かぶ照明や絵画の基本を、大工や絵描きたちも熟知していたに違いありません。

 

あのような建築は、日がとっぷりと暮れた時間にこそ、見学させるべきだと思いました。

 

 

 

 

 

ソファやボードの影の床に直置きする間接照明も闇を浮かび上がらせる。

 

ときのうつろいによる陰翳を味わう

闇のなかで初めて、明るさは意味をもちます。月の出ない夜の奥深い山のなかでも、ロウソク1本だけで周囲が浮かび上がるほどの明るさを実感することもあるのです。

 

最近の住宅には、昼間の光のような明るさはあっても、闇はもちろん、闇と明るさの間にあるグラデーション=陰翳がなくなりつつあります。「ほのか」な灯りといって連想するのは蛍光灯の豆電球くらいかもしれません。

 

蛍光灯は光源が広く、空間全体が均一に白い光で照らされ、作業には適しますが、陰翳がありません。欧米で蛍光灯といえば、倉庫や工場など作業向けの照明で、一般の住宅ではガレージや地下室にしかないのです。

 

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ほのかな【暗さ】も極上の時間を醸す素材になる。

 

新築の撮影などでうかがいますと、いまもなお、天井に蛍光灯(シーリングライト)が付けられているお宅が大半で、日本ではもっとも普及している照明手法といえます。和室に行っても、ほとんどがシーリングライトで、床の間の上部にも蛍光灯があります。

 

花瓶・香炉・燭台(三具足)を備える台が床の間の起源とされますが、掛け軸を楽しむ人も少なくありません。床の間に飾られた掛け軸や季節の花は、均一な明るさによって美しさを表現されるべきではなく、陰翳での演出が要求されて初めて存在価値を発揮します。

 

200年、300年前の日本の建築に蛍光灯はなかったのですから、和室や床の間の蛍光灯は何とかならないものかと、ここの部分は違和感を覚えてしまうのです。

 

 

高級旅館に行っても、畳の間に蛍光灯が当たり前にあり、天井に照明を設けず、行燈に似せた和風のフロアスタンドを置いている旅館も多くはありません。

 

床の間に飾る掛け軸や花は、四季折々、朝、昼、夜と光がうつろうなかで、折々の光と陰翳に表情を変える美しさを味わうよう計算されてきたはずです。

それを真上に付けた蛍光灯で四六時中同じ光で照らしてしまうと、光や陰の「うつろい」など感じられないのは当然です。

 

それでも人工照明がほしい場合には、ペンダントライトかダウンライトでオレンジ色の淡い灯りで抑えるくらいが、ちょうどいいのではないでしょうか。

 

キッチンやダイニングの照明も明る過ぎる必要はない。

 

世界のプロが学んだ谷崎の「陰翳礼讃」

文豪として知られる谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』にこんな一文があります。

──諸君はまたそう云う大きな建物の、奥の奥の部屋へ行くと、もう全く外の光りが届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風が、幾間を隔てた遠い遠い庭の明りの穂先を捉えて、ぼうっと夢のように照り返しているのを見たことはないか。

 

その照り返しは、夕暮れの地平線のように、あたりの闇へ実に弱々しい金色の明りを投げているのであるが、私は黄金と云うものがあれほど沈痛な美しさを見せる時はないと思う。『陰翳礼讃』((角川ソフィア文庫))

 

古い伝統的な家屋では、奥に行けば行くほど闇が重なり、床の間に置かれた季節の花や光を透かす欄間、透明なシェードを付けた電球、襖に描かれた金や白の大華や鶴など、闇のなかでほのかに浮かび上がる「しかけ」がいくつもありました。

光があっての陰があるのではなく、「陰」のなかの「光」が計算され、それは意匠でもあったのです。

谷崎は陰翳のなかでこそ、建築や庭、食器、能や歌舞伎などの芸術が発展したのが日本の特徴であることを考察していたといえます。

 

 

 

谷崎は女性の美にも触れています。 

──夜光の珠も暗中に置けば光彩を放つが、白日の下に曝せば宝石の魅力を失う如く、陰翳の作用を離れて美はないと思う。つまりわれわれの祖先は、女と云うものを蒔絵(まきえ)や螺鈿(らでん)の器と同じく、闇とは切っても切れないものとして、出来るだけ全体を蔭へ沈めてしまうようにし、長い袂や長い裳裾で手足を隈の中に包み、或る一箇所、首だけを際立たせるようにしたのである。『陰翳礼讃』((角川ソフィア文庫)

 

ここでは「蒔絵や螺鈿の器」でさえも「闇とは切っても切れないもの」とし、そこで浮かび上がる美の哲学を「女」にも重ね、このような名文で書きあげているところが、まさに文豪です。

 

スポット的に光源を活用することで明るさと陰翳をコントロールする。

 

 

光と闇をゆたかに演出する手法は

舞妓さんや芸者さんたちの真っ白なうなじは、ロウソクや行燈など、薄暗い灯りに浮かび上がると、どんなにか色っぽく、艶めいていたことか。

 

想像してみてください。蛍光灯の下での、舞子さんの真っ白なお化粧は、白すぎて色気どころではないはずです。

 

漆器にも同じようなことがいえます。

 

私は個人的に、装飾を排した浄法寺塗り(岩手県)が好きなのですが、この漆器を蛍光灯の真下で使っても少しもうれしくありません。

先に述べた建具の装飾と同じで、わずかな光のなかで奥行きの深い美を湛えるのが漆器ならではの美しさなのです。

 

数百年も前の寺社建築、あるいは一般の住居で、行燈や燭台の光だけでも美しさを醸す高度な光のノウハウが、器1つにも凝縮されていることに驚きます。

 

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ホテルの部屋の灯りがスタンドや間接照明ではなく、蛍光灯の白々とした光だとしたら、くつろぎの時間も半減してしまいます。

出張を終えて、あるいは昼間の旅を終えてホテルに入る。オレンジ色のほのかな灯りだからこそ1日の疲れを癒してくれるのです。

 

間接照明にはスポットライト・足元照明・壁付照明・スタンドなどのアイテムがあります。小型の照明を、テレビボードやソファなどの後方の床に直置きするだけで、闇が浮き立ってくるのがわかります。

 

お気に入りのアートがあれば、それを天井からピンポイントに照らせば、闇のなかでテーマが強調されるでしょう。

 

 

 

アメリカ映画を観ると、部屋の隅や棚、デスクでいくつものスタンドが置かれているの気づきます。1つの部屋に5つも6つも設置され、それらを自在にオン・オフすることで幾通りもの灯りの演出を可能にしているのです。

 

クリップ式も手軽に設置でき、照らしたいところに光の強弱をつくることができます。スタンドもクリップ式も割安なものから種類が豊富に揃っているので、徐々に増やしていく楽しみもあるはずです。

 

間接照明は「一室多灯」がコツ。極論だと叱られるかもしれませんが、天井に照明をつけないくらいの覚悟で臨みます。

そして、ある光源は低い位置に置くことも素敵です。

 

光源を分散する、分散した光源をその都度、組み合わせる。

そうして、幾通りもの空間の表情を楽しむことができます。

空間の重心をつくるのは、闇なのです。

 

 

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